だからといつて、今の人に訣る訣ではありません。昔の人の間だけに訣つた知識を詠んだ歌ほど、今人の知識には訣りにくいのです。この海には、玉が沈んで居相だ。それを自分の玉として装身具にしようといふ事によつて、列座の人々の興味をそゝつてゐるので、つまり海辺の饗宴の歌になりませう。「かづく」といふ事は、水に潜るといふ事ですが、獲ものを得る為に、もぐり込んで行つて、又もぐり出て来るといつた過程を含んだ言葉になります。だから「玉かづきいでば」は、もぐつて玉を取つて来たら、といふ事です。かういふ詞が、古人をして、一時颯爽たる生活に、遊ばしめたものでした。

万葉集に限つたことではなく、平安朝の民謡の中にも、玉が海辺に散らばつてゐる様に歌つたものが沢山あります。此は我々の経験には無い事だけれど、本とうに阿古屋《アコヤ》貝か鮑珠《アハビダマ》を歌つてゐるのだらう、其に幾分誇張を加へて歌つたのだらうと思はれる位、玉の歌はうんと[#「うんと」に傍点]あります。又世間の人はさう信じてゐる様です。けれども、これは昔の人が真実を歌つてゐるのではありません。かういう場合、あゝいふ場合といふ風に、歌を作る機会が習慣でき
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