は藤原となつて、政権に近づいて行つたのは、此事実と似てゐる。が実は、国造の宗教を破却して、主長であつて、尚《なほ》教権を握つて居る為に、村々の民と離れない豪族との間を裂く為の促進運動であつたと見る方が、ほんとうらしい。
地方の大社に関する事は、国造の代りに国守をして執り行はせる事としたのも、名は旧慣に従ふ様に見せかけて、面目を一新しようとの企てが含まれてゐたのである。
国造の神に対しての関係は、子孫であるか、最《もつとも》神に親しかつた者の末であるかであつた。村人にとつては、神意は国造によつて問ふ外はない、とせられてゐた昔の記憶が、まだ消えきらない時代であつた。此をすつかり忘却の境に送り込まぬ間は、村本位の生活が、又現れて来ないとも限らなかつたのである。



底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
   1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「白鳥 第一・二・三・四号」
   1922(大正11)年1、2、5、7月
※底本の題名の下に書かれている「大正十一年一・二・五・七月「白鳥」
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