化が、此改革の肝腎の精神であつたと思はれる。が、まだ一つ大事の目的が、外にあつたのである。国造の中、後世まで国造の称へを伝へた家々は、皆神事に与る筋である。事実亦、国造は地方々々の大社の為に、官幣を受けにも、上つて来た。国造と神主とを同じ意味に使うた例も多い。廃止の後も、郡領に神事を司したのは、国造が、神職の主座にゐた事を見せてゐるのである。
村の主長であつた国造が、同時に神主であると言ふのは、どうした訣か。神に近い者で、神の心を問ひ明らめる事の出来る者が、村人を神慮のまゝに支配してゐた、昔の村々の政治を見せてゐるのである。
さうした過去へ、一挙に我々の想像を誘ふのは、斉明紀に見えた「村々の祝部」と言ふ語である。文献に照して見ても、禰宜《ねぎ》は、祝部よりは遅れて出来た職名であるらしい。村の主長なる国造は、既に神事に与ること尠く、実務を祝部に任せる方に傾いてゐたらしい。併し、大事の場合には、勿論国造が、主任とならねばならなかつたものと思はれる。神職と言へば祝部を思ふ程、此職名の出てゐるのは、為事が岐れはじめて来た事を示すのである。
宮廷の神職であつた中臣氏が、別に大中臣氏を立てゝ、本家
前へ
次へ
全23ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング