[#「つぎ」に傍線]は、後置修飾格で、つぎ[#「つぎ」に傍線]=日のみ子[#「日のみ子」に傍線]といふことにも解釈出来る。
かうして、神々の宗教の神学体系が立てられた。併《しか》し、江戸の古代研究者は、此変形には、目をつけずに過ぎた。此がほゞ、藤原の都頃のことゝ思はれる。神学以前に長い神々の物語の時代が、なければならぬ筈である。飛鳥以前に統一なき神々の行状を、口から口へ持ち伝へた、長い時間があつたに違ひない。
古事記・日本紀は、新しい神学の基礎に立つて、さうした断篇を組織したまでの物である。三つの古風土記(九州の、二つには、私は著しい近世的の臭ひを、感ぜないではゐられぬから、省いた)の中、記・紀と、一番足並みを揃へてゐるのは、出雲風土記である。常陸のになると、此体系を度外視する、理智の眼が光つてゐる。其で、此書の裏に、一貫した神学があらうとは見えぬ程、恐しく断篇化した記述法を取つてゐるにも拘はらず、神を失はうとしてゐる者の偶像破壊に過ぎないといふ事は見えてゐる。時代は其と、いくらも古くはあるまいに、播磨風土記に現れた断篇風な記述は、確かに神学以前の不統一な面影を残してゐる。ほんとうに、無知な群集の感情其まゝである。
出雲には、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]以上の人格を考へる事が出来なかつたから、其風土記にも知られ過ぎた神としての彼の生活は、其輪廓さへも書く必要がなかつたのである。処が播磨風土記に現れたおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]は、まだ神学の玉の緒に貫かれない玉の様に、断篇風に散らばつてゐる。あまりに、記・紀を通して見たおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]と距離があり過ぎる。尤《もつとも》、主人公として現れたおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の名を、他の誰の名と取り換へても、さし支へはないわけである。だがさうすれば、神話・民譚の上の或性格に属する話を、取捨する標準は、神話・民譚以後の神学を以てする事となる。どんな話でも、物語時代のおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の性格を組み立てゝ来た一要素なることは、事実である。或逸話は、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の性格として持つに適当な、経歴の一つと考へられて来たのである。
すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]との競走に、糞ではかま[#「はかま」に傍線]を汚した童話風な話があり、あめのひほこ[#「あめのひほこ」に傍線]との国争ひに、蛮人でもし相な、足縄投げの物語りを残してゐる。醜悪であり幼稚であることが、此神の性格に破綻を起さないのである。普通人其儘の生活を持つことが理想に牾《もと》るものではない。
       嫉みを受ける人として
多くの女の愛情を、身一つに納める一面には、必、後妻《ウハナリ》嫉みが伴うてゐる。万葉人の理想の生活には、此意味から、女の嫉妬をうける事を条件とした様に見える。
おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の、よみ[#「よみ」に傍線]から伴れ戻つた嫡妻《ムカヒメ》すせりひめ[#「すせりひめ」に傍線]は、へら[#「へら」に傍線]の様に嫉み心が強かつた。八十神と競争して取り得たやかみひめ[#「やかみひめ」に傍線]も、彼女の妬心を恐れて、生みの子をば、木の股に挟んで逃げた。倭への旅に上る時、嫉妬の昂奮を鎮める為「ぬばたまの黒きみけし……」の歌を作つてゐる。が其時に、嫉み妻に持つた愛は、ぬなかはひめ[#「ぬなかはひめ」に傍線]の門に立つて唱和した歌に見えたものと、変らぬ美しい愛であつた。
男には諸向き心を、女には後妻《ウハナリ》嫉みを認めてゐたのが、この頃の夫婦関係であつた。「女大学」の出来る様に導いた世間は、其以前にかうした愛の葛藤の道徳を認めてゐた社会を無視してゐたのである。
教養あるものは、笑うてゐたが、妻敵《メガタキ》うちは近世まで、武士の間に行はれてゐた。此を笑ふ武士と、これを面晴れと考へる武士とが、尠くとも、二三百年は対立して来た。
江戸より前の武家の家庭では、後妻《ウハナリ》うちが頻々と行はれた。誠に今も残つてゐる絵が示す様な、百鬼夜行を見る程な荒い復讎手段であつた。相手の家の雑作調度を、大ぜいで攻めかけて壊して来る。其が悪事とは、考へられてゐなかつたのである。我々の国の乏しい文献は、家庭生活に対して頗《すこぶる》冷淡であつた。戦国以前に、どうした嫉妬の表示法を主婦たちが持つてゐたかを伝へてはゐぬ。併し、夫の殺伐な気風にかぶれて、戦国の妻が考へ出した方法とばかりは受け取れない。
もし本朝妬婦伝を撰るなら、人の世に入つてからも、列伝に這入る者は、だん/\ある。仁徳のいはのひめ[#「いはのひめ」に傍線]・允恭のなかちひめ[#「なかちひめ」に傍線]、ずつと下つて、村上の安子の如き方々は、其尤なるものであらう。
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