りまでは神か人かの弁《わか》ちさへつかない。万葉人も世が進むにつれて、復活よりも不死、死を経ての力よりも死なぬ命を欲する様になつた。択ばれた人ばかりでなく、凡俗も機会次第に永久の齢を享ける事が出来るもの、と思ひもし、望みもした。此はおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の生活を、人々の上に持ち来たさうとする考へが、外来思想によつて大いに育てられたものと見てよからう。
併し初めには不死の自信がなかつた為に、生に執著もし、復活をも信じたのである。岩野泡鳴氏が、生の愛執を、やまとたける[#「やまとたける」に傍線]に見出したまでは、此方面の考へは闇であつた。命をかた[#「かた」に傍線]に妻子を育んだ戦国の家つ子[#「家つ子」に傍線]の道徳が、万葉びとの時代からあつたもの、と信じたがる人々によつて信じられて来た。
花の如きおふぃりや[#「おふぃりや」に傍線]の代りに、万葉人たちは、水に流れつゝ謡うたおほやまもり[#「おほやまもり」に傍線]を持つてゐた。町人・絵師すら命の相場を「一分五厘」と叫ぶ様になつたのは、近世道徳の固定の初めの事であつた。我々の国の昔には、すぐれた人々が、死を厭ふをたけび[#「をたけび」に傍線]を挙げて死んで行つた。
かういふ世であつたればこそ、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]は死なゝかつたのである。其復活は信仰の俤を十分に伝へたと同時に、又切なる欲求を示したものでなければならぬ。
此点だけは、当時の人に或は単なる理想として、持たれて居つたに過ぎないかも知れぬ。が、近世に到るまでよみがへる人[#「よみがへる人」に傍線]の噂を、屡《しばしば》伝へる処から見れば、必しもやまとなす神[#「やまとなす神」に傍線]でなくては達せられぬ境涯とも考へきらなかつたであらう。
智慧の美徳
純良なおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]は、欺かれつゝ次第に智慧の光りを現して来た。此智慧こそは、やまとなす神[#「やまとなす神」に傍線]の唯一のやたがらす[#「やたがらす」に傍線]であつた。愚かなる道徳家が、賢い不徳者にうち負けて、市が栄えた譚は、東西に通じて古い諷諭・教訓の型であつた。ほをり[#「ほをり」に傍線]・神武・やまとたける[#「やまとたける」に傍線]・泊瀬天皇など皆、此美徳を持つて成功した。道徳一方から見るのでなければ、智慧と悪徳とは決して、隣りどうしでないばかりか、世を直し進める第一の力であつた。此点は既に和辻哲郎氏も触れた事がある。
四
人の世をよくするものは、協和ではなくて優越であり、力ではなくて智慧であることに想ひ到るまでには、団体どうしの間に、苦い幾多の経験が積まれたのである。おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]を仰ぐ人々の間には、長い道徳にかけかまひのない生活が続いてゐたのであらう。
昔程、村と言ふ考へが明らかである。立ち入つて見ると、個人の生活は、其中に消えこんで了ふ。
すべての生活を規定するとゞのつまりが、村であるとすれば、村々の間に、相容れぬ形の道の現れて来るのも、極《ごく》自然な筋道である。手濡らさずに、よその村の頭をうち負した智力のぬし[#「ぬし」に傍線]が、至上の善行者と考へられるのも、尤である。其が凡庸な個人の上に翻《ウツ》された民譚・童話にすら、後世式な非難の添はないのも、かうした出発点があるからである。智慧あつて思慮の足らなかつたいなばの白兎[#「いなばの白兎」に傍線]の話なども、私に、単純な論理に遊ぶ癖があつたら、兎はおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]、鰐どもは兄八十神を表したものと言ふ事も出来さうである。
さうした立ち場から、部分の類似をつきつめて行けば行く程、事実から遠のく。唯、円満に発達しきらぬ智慧の失策を見せたものとだけは、見ることが出来る。さうして此話が、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の智慧の発達に、ある暗示を持つてゐるものと見てもよさゝうである。
仁の意味
白兎の話が示した人道風な愛は、残虐であり、猾智である所の倭なす神[#「倭なす神」に傍線]には、不似合ひの様に見える。併し、外に対しての鋭い智者は、同時に、内に向けての仁人であつたはずである。尠くも、さうあるのを望んだ事は、ほんとうであるはずだ。残虐な楽しみを喜ぶ事を知つた昔びとにして見れば、それの存分に出来る権能は、えらばれた唯一人に限つて許される資格と考へた事であらう。智慧・仁慈・残虐は、ぱらどっくす[#「ぱらどっくす」に傍線]ではなく、倭成す神の三徳と見る事も出来るのである。
泊瀬天皇ぐらゐ、純粋な感情のまゝにふるまうた人はなかつた。瞬時も固定せぬ愛と憎み、神獣一如の姿である。此点から見れば、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]は、著しく筆録時代の理想にひ
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