とりわけ、いはのひめ[#「いはのひめ」に傍線]は嫉妬の為に、恋しい夫の家をすら、捨てた。嫉む時、足もあがゝに、悶えたとある。きびのくろひめ[#「きびのくろひめ」に傍線]・やたのわきいらつめ[#「やたのわきいらつめ」に傍線]に心を傾けた仁徳天皇は、いはのひめ[#「いはのひめ」に傍線]に同棲を慂めるのに、夫としての善良さを、尽く現された。凡ての点に於て、人の世に生れて出たおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]とも言へる程の似よりを、此天皇はおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]に持つて居られる。其は殆ど双方の伝記で解釈のつかぬ処は、今一方の事蹟で註釈が出来る位である。今其一つを言はう。おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の上に、明らかに見えない事で、仁徳には著しく現れてゐる事がある。
       倭成す神の残虐
めとりのおほきみ[#「めとりのおほきみ」に傍線]は、帝を袖にした。はやふさわけ[#「はやふさわけ」に傍線]に近づいた。二人を倉梯《クラハシ》山に追ひ詰めて殺したのは、理想化せられた尭舜としては、いき方を異にしてゐると言はねばならぬ。
おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]が、白兎を劬《いたは》つた様に、此|帝《ミカド》にも、民の竈《かまど》の「仁徳」がある。此帝の事蹟では、儒者の理想に合する部分だけが、強調して現されてゐる。
やまとたける[#「やまとたける」に傍線]は、無邪気な残虐性から、兄おほうす[#「おほうす」に傍線]を挫き殺した。併し雄略天皇程、此方面を素朴に現されたのは尠い。此等の方々の血のうちに、時々眼をあくすさのを[#「すさのを」に傍線]が、さうさせるのである。
すさのを[#「すさのを」に傍線]の善悪に固定せぬ面影は、最よく雄略天皇に出て居る。彼の行為は、今日から見れば、善でも悪でもない。強ひて言はうなら否、万葉びとの倫理観からは、当然、倭なす神なるが故に、といふ条件の下に凡てが善事と解せられて居たのである。
仁徳の御名はおほさゞき[#「おほさゞき」に傍線]、雄略はおほはつせわかたけるのすめらみこと[#「おほはつせわかたけるのすめらみこと」に傍線]と謚《おくりな》せられてゐる。其二つを合せた様に見えるをはつせわかさゞきのすめらみこと[#「をはつせわかさゞきのすめらみこと」に傍線]なる武烈天皇が、わが国のねろ[#「ねろ」に傍線]とも言ふべ
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