方言
折口信夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)着長《キタケ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)首|長《ダケ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)れ※[#小書き平仮名ん、87−16]ぞ
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)西[#(ノ)]宮
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)まち/\な
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○くびだけ[#「くびだけ」に傍線] 今は方言と言はれぬ語であるが、くびだけ[#「くびだけ」に傍線]は首ばかりが水面に出てゐる様子で、沈湎・惑溺の甚しい事を言ふのだ、と思うてゐた処、大阪天満女夫池に、妻を追うて入つた夫の歌と言ふのに「水洩らぬ契りの末は首たけに思ひしづみし女夫池かな」極めて要領を得ぬ物であるが、首|長《ダケ》とは着長《キタケ》に対した語で、頭をもこめた長《タケ》の義であらう、と思ひあたつた。首が出る段でなく、ずんぶりつかつて了ふことであらう。東京人のくびつたけ[#「くびつたけ」に傍線]の促音は、くびのたけ[#「くびのたけ」に傍線]の積りであるので、だけ[#「だけ」に傍線](而已)に力をこめたのではなからう。
○さくら[#「さくら」に傍線] 縁日などに出る香具師の仲間では、客の買ひ方を速める為に、囮になつて、馴れあひで物を買ふ。此類に限らず、其外にも、人目は関係ない様に見せかけて、実は、脈絡をもつて悪い事をする第三者、譬へば、手品師に於ける隠れ合図をする者・すり[#「すり」に傍線]のすつた品物を途中で受けとる人間など、すべて相掏り(あひずり)と言はれるものを、大阪ではさくら[#「さくら」に傍線]と言ふ。此は、花合せの札の三月の分が、殊に目につく藍刷りであつた為かと思ふが、他に案があつたら、教へて下さい。
○祭りの翌日 祭りの前の日のよみや[#「よみや」に傍線]、祭日の本《ホン》まつり[#「まつり」に傍線]などは、何処でも通用するが、祭りの翌日には、行事のあるところと、ないところとがある様だし、用語も、地方によつて、まち/\な様である。熊本のおけあらひ[#「おけあらひ」に傍線](桶洗ひか)大阪のごえん[#「ごえん」に傍線](後宴か御縁か)などは聞いた。祭りのなごりを惜しむ人々の残つてゐる今の間に蒐めておきたい。
○もろに[#「もろに」に傍線] 東京でも、今は諸国の人々の寄り合ひになつて了うた為、大抵の国々の語の包括を遂げた様に見える。其でも、下町の年よりの早口の会話を聞くと、かなり意の通ぜぬ語に出くはす。今の間に、小説家などが、もつと書きとめて置いてくれゝばと思ふ。もろに[#「もろに」に傍線]など言ふ副詞は、実の処、私にはまだ、的確に意義が掴まれぬ。初めは「両《モロ》に」で、両手でさしあげたりする意の、相撲とりの仲間からとり入られたものと考へて、其まはし[#「まはし」に傍線]を両手《モロテ》でひいて、軽々とさしあげる意から、軽々と・たやすくなど言ふ意が、胚胎せられて来たものと思うた。
処が、事実はすつかり違ふ様である。もろに[#「もろに」に傍線]は「脆く」と一つで、上方のぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]・ぼろい[#「ぼろい」に傍線]など言ふ語と密接な関係があつたのである。其について思ひ起すのは、友人永瀬七三郎君が、北河内|三《サン》个|江《エ》の口《クチ》(野崎の近辺)に住んだ頃、こもろい[#「こもろい」に傍線]と言ふ形容詞をよく耳にした。だから、大阪のぼろい[#「ぼろい」に傍線]はこもろい[#「こもろい」に傍線]と一つで、脆いと言ふ語が語原であらう、と言うてゐたことである。ぼろい[#「ぼろい」に傍線]と言ふのは「手もなくうまい事をした」場合などに言ふ語で、過大な好結果を示すのである。言ひ換へれば、さのみの苦労をせずに、思ひがけぬ利益を得ることをいふ。今日の言語情調からすれば、ぼる[#「ぼる」に傍線](貪)と言ふ語と親類らしく感ぜられるのであるが、事実は、やはり別であらう。
其は、ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]と言ふ語が、同時に行はれてゐるのを、参考して見ても知れる。ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]は「苦労なくはかどる」或は「努力せずして思ひの外に速かに願ふ結果を獲る」意である。当方でなく、対象が脆く自分の思ふまゝになる、と言ふのが本義なので、貪《ボ》るが語原とすれば、ぼろい[#「ぼろい」に傍線]の意は訣つても、ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]は解釈がつかぬのである。ぼろい[#「ぼろい」に傍線]――こもろい[#「こもろい」に傍線]――もろに[#「もろに」に傍線]と並べて見れば、今も東京に行はれてゐるもろに[#「もろに」に傍線]と
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