、短くはらゝかした髪である事は、わらゝば[#「わらゝば」に傍線]・はらゝ[#「はらゝ」に傍線]などいふ、H音・V音の音価動揺時代を知つた人には訣りきつた、所謂ばらけ髪である。大童などいふ語も、子どもの髪に見立てたのでなく、わらは[#「わらは」に傍線]其者が、ばらけ髪を言うた事を示してゐる。河童の事を河郎《カハラウ》・かつぱ[#「かつぱ」に傍線]と言ふのが、河わらは[#「河わらは」に傍線]・河わつぱ[#「河わつぱ」に傍線]から来たのだ、と言ふことは疑ひがない。だから、河郎・かつぱ[#「かつぱ」に傍線]が、絵にある形の頭をした者に定つた事は、極《ゴク》の近代でないと知れる。唯、あんな小さな形にしたのは、例の民間語原と言うてよからう。山わろ[#「山わろ」に傍線]などは、爺さんの様に考へてゐた者も、多いではないか。此場合も、尠くとも、山住みの気安さに、髪をふり乱してゐたのを斥したものであらう。がつそ[#「がつそ」に傍線](<かふそ)が川獺から出た物で、河童と一類に考へられた事も、明らかで(山島民譚集)ある。大阪では、四五十からの上の人は、昔の医者・修験などの頭の、所謂総髪をがつそ[#「がつそ」に傍線]といひ、其に似て、子どもの四方へ髪を垂れた頭をも、がつそ[#「がつそ」に傍線]と言ふ。其脳天を小さく円く剃つたのが、けしこ[#「けしこ」に傍線]・けし房主[#「けし房主」に傍線]である。東京の子どもの、おかつぱさん[#「おかつぱさん」に傍線]とがつそ[#「がつそ」に傍線]とが、おなじもので、名も関係深いのはおもしろい。
○さるぼ[#「さるぼ」に傍線] 虹が、雉の尾の様に見えた事は、推古紀かにあつたと思ふが、かの天象を、動物の尾に譬へる事は、外にもある様である。大和北葛城郡|志都美《シツミ》村辺で、虹の片脚の僅かに立つてゐたのを見て、七十歳の老婆が、さるぼ[#「さるぼ」に傍線]といふ名を教へてくれた。ぼ[#「ぼ」に傍線]は VO の発音で、大和人は、を[#「を」に傍線]を正しく WO とは言へぬのである。即、猿尾の義かと思ふ。
○あおち[#「あおち」に傍線]貧乏 稼いでも/\世帯のよくならぬのを、大阪では、あおち[#「あおち」に傍線]貧乏と言ふ。あおつ[#「あおつ」に傍線]は煽つである。戸が風にあふられる事にも言へば、団扇で音たてゝ扇ぐ場合にも使ふ。思ふに、ばた/\と立ち働いて、ぢつとして居る間もないのに、而も貧乏すると言ふ意味の考へ落ちだらう。
○祭りの日 徳島市中では、本祭りをほんま[#「ほんま」に傍線]、其前日がよみや[#「よみや」に傍線]、祭りの翌日がしよおじり[#「しよおじり」に傍線]である。しよおじり[#「しよおじり」に傍線]の日は、午後からお宮が賑ふ。尚、三月節供翌日を、やはり、しかのあくにち[#「しかのあくにち」に傍線]といふ。
○れ※[#小書き平仮名ん、87−16]ぞ[#「れ※[#小書き平仮名ん、87−16]ぞ」に傍線]・れ※[#小書き平仮名ん、87−16]ど[#「れ※[#小書き平仮名ん、87−16]ど」に傍線] 此語は、大和国中に限る様である上に、殊に北南葛城郡が中心になつてゐる処を見ると、其処に、起原があると仮定しても、よい様だ。此で思ひ当るのは、当麻寺の練供養《ネリクヤウ》である。此は、頗名高い法会で、大和歳事記を拵へれば、春の部の王様とも言ふべき行事ゆゑ、此地方の人には、祭りとも、休日とも言ふ風の聯想が起つたのであらう。恐らく練道《レンダウ》供養のれんどお[#「れんどお」に傍線]が、れんど[#「れんど」に傍線]>れんぞ[#「れんぞ」に傍線]となつたものであらう。練道と言ふ語は、行道など言ふ語があるから、言はないとは思はれぬ。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店
1930(昭和5)年6月20日
初出:「土俗と伝説 第一巻第一―三号」
1918(大正7)年8〜9月
※底本の題名の下に書かれている「大正七年八―十月「土俗と伝説」第一巻第一―三号」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月8日作成
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