私は、昔の丈部《ハセツカヒベ》(記・姓氏録・万葉)をば、支那風の仗人と見ずに、或は此すたんだぁど[#「すたんだぁど」に傍線]に似た桙を持つて、大将の前《サキ》を駆《オ》うた部曲《カキベ》かと考へて居る。
秀吉の在世の頃から、旗さし物類の発達は目ざましいものであつた。諸士皆競うて、さし物に意匠を凝して、注目を惹く事に努めた。秀吉・家康から、単にさし物の画や字が珍らしいと言ふので、賞美せられた者も沢山ある(武徳編年集成・寛政重修諸家譜・貞享書上其他)。其故、諸侯の家には、大小二種の馬じるしや、自身・さし物から、諸士・雑兵の番指物《バンノサシモノ》・袖印・腰印に至るまで、其数と種類の多いこと、驚くばかりである。さし物の多くは、元即興的に色々の物をさしたのが、却つてかやうに雑多な発達に導いたものらしい。長久手の戦ひの屏風絵には、籠を負うて、薄《スヽキ》などの青草をさした武者が、二三見えて居る。其が大阪攻めの絵巻になると、よくも僅かな年月の間に、かやうな変化を遂げたもの、と目が※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]られる程である。
薄をさしたさし物から、直ちに聯想せられるのは一本荻[#「一本
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