丸の旗などゝは大分遠い、却つてばれん[#「ばれん」に傍線]などに似よつた形の物ではなかつたらうか。
もつと異風な幡は、前にあげた肥前風土記|基肄《キイ》[#(ノ)]郡|姫社《ヒメコソ》[#(ノ)]社《ヤシロ》の由緒に見える。姫社郷の山途《ヤマト》川の門《ト》(川口か)の西に、荒ぶる神が居て、道行く人をとり殺すので、其訣を占ふと、筑前宗像郡の人|珂是胡《カゼコ》に、自分を斎《イハ》はせれば、穏かにならうとあつた。珂是胡《カゼコ》、幡を捧げて祈るには「実際私に祀られようとの思召しなら、どなた様であるかお示し下さい。其には、其本処のお社に、此幡が風に乗つて行つて落ちます様に」と言うて、幡を挙げて、風に順うて放つた処が、御原郡の姫社之社に墜ち、再飛び返つて、山途川の辺の田村に来て落ちたので、神の在処《アリカ》が知れたとある。此幡、今日の人の考へに這入つてゐる旗の様な物ではなく、形は違うてゐるとしても、幣束と同じ用をした物である事だけは、否定が出来ぬ。
小子部《チヒサコベ》[#(ノ)]栖軽《スガル》が三諸《ミモロ》山の神を捉へに行つた時は、朱蘿《アカキカヅラ》をつけ、朱幢《アカキハタ》を立てゝ馬
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