文學を愛づる心
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)口説《クゼツ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)過去のみゆうず[#「みゆうず」に傍線]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)とても/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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文學を愛でゝめで痴れて、やがて一生を終へようとして居る一人の、追憶談に過ぎぬかも知れない。
        *
文學をめでゝ愛で痴れて、而も其愛好者の一生が、何の變化も受けなかつたものとすれば、その文學がよほど、質の違つたものだつたと考へてよい。さうでなければ、その人が變質的に隨分強靱な心を持つてゐたと言ふことになる。所謂文學の惡影響と言ふこともあるにはある。此は考へて見ねばならぬことだ。文學を愛して居ながら、ちつともわるい感化を蒙らなかつたと言ふ人は相當あつて、紳士として申し分のない生活をして居る。かう言ふ人の行き方は、堅實な態度と言はれて來て居る。
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だが、よく考へて見ると、古くから讀まれて來た書物で、ちつとも不健康な分子、有害な部分のないと言ふやうな文學は、まあ、ないやうである。經典を見たつて、欲望を唆る樣な箇處はあつて、それ/″\昔から知られてゐる。倫理書をのぞいても、其當時々々の社會の秩序を破る思惟を誘ふ部分と謂つた處は、皆それ/″\あるのである。其が文學としての傾向の著しいものになると、文學としての性質上、更に激しくなつて來るまでゞある。
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我々は祖先の世から、美しい次代を創りあげようとして、苦しんで來た。其爲に、幾人とも知れぬ犧牲者を出して來てゐる。さう言ふ苛烈な經驗をした人々よりも、も一つ先にのり出して、自分の書き列ねてゐる語をつきつめて行つて、どうしても逢著しなければならぬ新しい境地を、ちらつと見ると言ふ處まで達したのが文學者のある者である。
言語文章を似て、彼等は、人生の論理を追求して行つた。さうして、美しい次代の俤を、自分の文學の上に、おのづから捉へて來た訣である。
        *
かう言ふ新しい生活に對する豫言が、正しい文學、優れた文學の持つ、文學としての第一の資格であつた。だから謂はゞ、文學の持つ美は腕の脱落した、過去のみゆうず[#「みゆうず」に傍線]神の擔任する美と
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