があるのだから、まざ/\とした虚構も許すべきかどうかといふ問題がある。
日本の例で申します。この數年來志田義秀さんの研究で、芭蕉の作物に嘘のあることが大きくうつし出されて來た。それは、皆うす/\感じてゐたが、志田さんが例を擧げて言はれる處によると、我々の中に這入つてゐた芭蕉の、調和した姿が破れて行くやうになつた。いま、芭蕉の姿を解釋しながら、虚構が文學の上に存在し得る限界について説明してみたい。
日本の戀歌は凡虚構だ。殊に、平安朝中期以後の歌、及び其に基いて出來た歌物語は、虚構といつてよい。しかし其が、眞實らしい姿を持つてゐて、讀む人に眞實だと感じさせてゐたのだ。それだけに、其を作る動機がまる/\嘘ではなかつた。ところが世間の人は、これを始めから終りまで本道だと思つてゐたのだ。謂はゞ、作者の間では、お互に諒會してふいくしよん[#「ふいくしよん」に傍線]を用ゐてゐたが、讀者には知らしめないでゐた訣だ。さういふ風にして、虚構の多い歌を作り、歌物語を作つてゐた、其傳統を承け繼いだ連歌師・誹諧師が、虚構の文學を作るのは、當然のことゝ言へよう。唯、芭蕉といふ人が人間的に非常に信頼されてゐたので、
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