が、何処にあるか。其については、「おもしろき野をば」なる語句から、説き出して見ねばならぬ。「おもしろき」は、既に一度述べた私の論文があるので、今は述べたくないが、「おもしる君が見えぬ此ごろ」「おもしる児らが見えぬころかも」など言ふ語で見ると、顔馴染が深いと言ふに近くて、尚始終鮮やかに幻影に立つとでも謂つた内容を含んでゐたらしく思はれる語である。仮りに釈すれば、「なつかしき……」などに、稍当るものであらう。「昨年のまゝな野のなつかしさ。それに其野を焼かうとすることよ。今既に旧草まじりに新草が生えようとしてゐる」と謂つた意味で、古くは、……任せむと言ふのではなかつたのではないか。又今一段単純に解して見ると、「旧草に新草まじり、生ふべく見ゆる[#「見ゆる」に傍線]なつかしき此野を焼くな」と言ふ意義としても、文法的には錯誤はない筈だと考へる。
何にしても、かう言ふ結論は、導いてさし支へはない様に見える。ある副詞句は、「かに」を以て形づくられた。其場合正式には、短文でも、条件の完全に呼応した文章を受けねばならなかつた。其「かに」が、後代に其と近い意義を分化した「べく」に、形式的に代用せられても、
前へ 次へ
全33ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング