の状態で、之を具体化しようとして保つて居るある言語的刺戟で、暗示として、人の心に常に動揺してゐる。之を把握することによつて、新しい思想をもり立てる概念を捉へることになる。
だが其語自身の性質は、過去の言語の記憶の断片である事もあり、時代に起るべき思想を表象する言語である事も、あるのである。
「生ひば生ふるかに」以前に、その前型となるものがあるかも知れない。が、ともかく、「たゞ春の日に」の歌の如く、「任す」と言ふ考への、含まれてゐる事は事実である。「生ひば生ふるかに、まかせむ」又は「……まかせよ」など言ふ語が、気分的に融けこんでゐるのだ。さうすると、出て来る第二の問題は、右の様に、「生えるなら」と言ふ風に、「生ひば」が「生ふるかに」の前提として置かれてゐると解するがよいか、其とも、「けなばけぬかに」の例によるべきか、と言ふ点である。実は私は、此点は実例で、暗示させて置いて、説明は、一つも試みて居ない。「けなばけぬかに」「けなばけぬべく」が「けぬかに」「けぬべく」だけで示されることは、恐らく、前者が後者の旧形であつた事を意味するに外なからう。さうして、後者の様に簡単に、固定させてもよい理由
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