だけでも、妾の話によくのつてくれ。此頃一日々々愈、心が憂鬱になつて行くのを覚えてゐる。
[#ここで字下げ終わり]
「このごろ」についてゐるのを見ても、「うたてこのごろ……下心ぐし・見まくぞほしき・恋ひの繁しも」と言ふ風に続いてゐるのが、句の転倒するものゝ多い所から、「うたて」が叙述語の様に感じられて来るのだ。かうした形が進むと、次第に「うたて」が叙述部を代表する様になる。先に述べた平安朝の副詞と叙述語との関係を省みるべきである。
「うたて」の叙述語に当るものが、常に略せられて、「うたて」自身が、叙述部に這入つて来る様になる。すると、そこに仮りに、叙述語に代るべき代用語として常に用ゐられた「あり」が這入つて来る。即、「うたてあり」が、是である。さうして、此語は、既に「うたて、憂鬱なり[#「憂鬱なり」に傍点]」など言ふ内容を持つて居たのである。
宣長が古事記の「……登許曾、我那勢之命為如此登詔雖直、猶其悪態不止而転」を「……とこそ、あがなせのみことかくしつらめ、とのりなほしたまへども、なほ、そのあしきさまやまずて、うたてあり」と古訓したのは、時代を錯誤した様に思はれる。文章としては劣つてゐ
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