義を求めようとするのが、当然である。だから平安朝の日記・物語類でも、古いものゝ「えんに」の用語例を検すれば、所謂「艶に」とは、関係が薄くなつてゐることが見られるのである。
何の為に、かうした文法上の瘤とも言ふべき前提を置く慣例が行はれて居たのだらうか。
四
――と も その一
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ことゞはぬ「樹爾波安里等母《キニハアリトモ》」、うるはしき君がたなれの琴にしあるべし(万葉巻五)
山川を中に へなりて「等保久登母《トホクトモ》」、心を 近く思ほせ。我妹《ワギモ》(同巻十五)
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たとへば、「見とも飽かめや」は、正しくは「見とも見飽かめや」である。又もつと正式と見えるもので言へば、
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「松浦川 七瀬の澱は よどむとも、我はよどまず」君をし待たむ(同巻五)
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の如く、「よどむともよどまじ」と謂つた形になるものである。但、此場合、「われはよどまず」は副詞句で、待たむ[#「待たむ」に傍線]の文法的職分に統合せられる地位にあるものとして、此で正しい訣である。つまり、第一句以下第四句
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