れを作るに到つた心もちは、極めて茫漠として居る。そこに、神歌を感じさせる様な、象徴性が出て来るのだ。「生ひば生ふるかに」の東歌に現れた民謡の古代式表現に、近代的の毛刻りを加へたと言ふ点に興味があり、又前の歌の様な類型の幾つかあつた末に、其を飜案したもの、幾分其に答へる気持ちを持つて居るものだとも言へる。
古今集・伊勢物語の「武蔵野は、今日は勿焼きそ。わかくさの つまもこもれり。我もこもれり」も、其相聞歌的に飛躍したものだ。かう考へて来ると、昔から、幾度でも/\更に緻密な解決を待つて居る様な象徴的な詞章があつて、其点が、代々の人々の心に触衝する事によつて、幾つもの歌謡が生れて来た。即、類型を生む歌には、必ある疑問を持たせる様な部分があつたのである。此歌などで見ても、何の為に、其が謡はれそめたか、疑はしい感じが唆られる。歌としては、風俗歌であり、寧、国俗諺《クニブリノコトワザ》の領分に這入り相なものなのだ。問題をつゝけばつゝく程、新しい疑問が幾らでも生じて、最後の忘却に達するまでは、重ね/″\の合理解を試みるのである。其為に、類型は幾らでも現れて来る次第なのであらう。
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ふゆごもり 春の大野を焼く人は、焼き足らじかも、わが心焼く(万葉巻七)
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此一時、象徴歌と誤認せられた万葉集の譬喩歌も、春野焼く事に対する反感を含んでゐる。野焼きを否定する心が、一転して、其焼く心を咎める心地から転じて、不都合にもわが心をかく燃えしめる、と言ふ譬喩に用ゐたのである。
北野の神詠と称する「つくるとも、またも 焼けなむ。菅原や むねの板間の あはぬ限りは」は、古代にある野焼き歌の類型が、象徴的に感じられる所から、神祇の御作と言ふことになつた訣であらう。「菅原や」と言ふ語があつたから、北野神詠としての感情を敷衍して、一首の歌となつたゞけではない。同時に亦、単に大和添下郡菅原について残つた歌だとも言へない。菅原と言へば、其近接地伏見を言ふ事は古代からの習慣として、隠約の間に、世間の記憶として、遺伝せられてゐたのである。つまり世間弘通の歌謡の上の語――一種の歌枕――として、歌構成の以前に流動言語として動いてゐるものが、入りこんで来る訣なのである。其が、又ある合理化から、突然ふり落して、こんな筋の通らぬ歌をしあげたのであらう。
流動言語とは、世人が半意識
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