十代を経た時代、皇族から臣下に降《くだ》る事はまだまだ行われていたが、どうしても藤原氏の勢力に押され、そうした運動の無謀さが省みられ、凡情熱の磨滅せられ出した宇多・醍醐の帝の時代を書こうと言う、漠とした予期があったのである。此は、紫式部の時代より数代前の事になる。こうした歴史に沿った物語を書く場合には、不断聞いたり見たりしている人の事が、自らもでる[#「もでる」に傍点]となって出て来るものである。源氏物語の中にも、これは誰がもでる[#「もでる」に傍点]だと言われる類型は沢山あるが、光源氏のもでる[#「もでる」に傍点]だと言われるのは、部分部分では、いろいろな人を思わせるような書きぶりがあるが、全体としては、平安朝を通じて、最著しい藤原道長を目標においているようである。此人は、後の人々からは、おもしろくない人の様に見られているが、昔の人は、今の人の思うよりも、もっとゆったりした世界に住んで、非常に大まかな生活をしていたのである。光源氏の成熟し切った生活の様子は、その道長の盛んな生活ぶりを、おおらかに胸に持ち、はぐくみ乍ら作者がうつし出したものと考えてよい。源氏物語には又、女源氏と言われる
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