が、此には訣があるのである。脇能とは、脇方の役者が主になつてやるから言ふのではなく、或神事舞踊に附随した能、と言ふ風に考へねばならぬのだと思ふ。訣り易く言ふなら、神事舞踊の説明が脇能である。現在能楽の上での術語になつてゐるして[#「して」に傍線]対わき[#「わき」に傍線]を土台にして考へたのでは、説明が出来ない。やはり、神能と言ふのが、最適した名であらう。小寺さんの論文では、能楽の根本は脇能にある、とだけはあつたけれども、何故さうなのかの説明にまで及んでゐなかつた様であるから、日本の芸能に副演出が伴ふ理由の説明として、一応、能楽に於けるわき[#「わき」に傍線]の意義を闡明して置かうと思ふ。

     二 もどき[#「もどき」に傍線]・をかし[#「をかし」に傍線]・あど[#「あど」に傍線]

古く御神楽《ミカグラ》に才《サイ》の男《ヲ》が配されたのは、決して睡気覚しの為ではなかつた。田楽に於けるもどき[#「もどき」に傍線]を考へて見なければならない。もどき[#「もどき」に傍線]は普通、からかひ役[#「からかひ役」に傍点]だけのものゝ様に感じられてゐる。――此を動詞にした「もどく」の用語
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