するにあたつて、まづ説明をまたねばならぬやうな事実が、横はつてゐたのだ、と見なければならぬのである。

     六 幸若舞ひの影響

能楽のあい[#「あい」に傍線]が、間のつなぎでなく、前の舞台の説明であるとすると、能楽には既に一番の中に二つの副演出が重つてゐる。後じて[#「後じて」に傍線]は更に、具体的な説明である。即、前に現れたものはこれ/\のものである、と説明するのが後じて[#「後じて」に傍線]である。勿論、新しいものゝ中には、此論理を踏んでゐないものもある。曾我もの・判官ものなどは新しいものであるから、此約束が忘れられてゐる。幸若舞ひの影響を受けて出来たものだからであらう。
ともかく曾我ものは、謂はゞ後じて[#「後じて」に傍線]だけのものである。曾我の姿を説明してゐない。船弁慶では、前して[#「前して」に傍線]と後じて[#「後じて」に傍線]とが、何の関係もないものになつてゐる。能楽本来の論理で説明すれば、前して[#「前して」に傍線]の静《シヅカ》は、後じて[#「後じて」に傍線]の知盛《トモヽリ》の霊の化身である、と謂はねばならぬ。此で見ると、元来後じて[#「後じて」に傍線]は一種のわき[#「わき」に傍線]役なのであるから、前して[#「前して」に傍線]とは、別人でなければならぬ訣であるが、役として重いものなので、いつかして[#「して」に傍線]方が、其両方を兼ねてしまふ様になつたのだと思はれる。
能楽の新作が、幸若舞ひの影響を受けた適切な例は、修羅ものである。修羅物を見ると大抵、組織は同じでも、現代の生活――当時の武士の生活の写生――に近いもので、さうしたものが面白がられた結果、従来のものとはだん/\に、離れて行く傾向を持つてゐた事が、明らかに見られるのである。

     七 翁と三番叟

能楽で重要なものになつてゐるのは「翁」である。明治になつてからは、年の始めと、新築の舞台開きとだけしか演らなくなつたが、江戸時代までは、興行日数のある限り、毎日これを演つたのである。明治以後、所演が尠くなつた訣は、役者がものいみ[#「ものいみ」に傍線]の生活を嫌ふ様になつたからである。要するに、翁を毎日演つたと言ふことは、此があらゆる演芸種目を超越したものであり、どの能にも深い意味を持つてゐる。言葉を換へて言ふなら、すべての能が翁の副演出だ、と言ふ事になるのである。
翁は
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