事になつて居るのに、文献では、たつた一つしか例がないのだ。神武紀に書き残された、椎根津彦《シヒネツヒコ》と弟猾《オトウカシ》との二人が、香具山の埴《ハニツチ》を大和の代表物《モノザネ》として、呪する為にとりに行つた話に、其が見られる。椎根津彦は、簑笠を着て翁になり、弟猾は、箕を被つて媼に扮《ヤツ》し、敵中を抜けて、使命を果したとする。従来、弟猾は男の様に考へられて来たが、此は女性の神巫《ミコ》だつたのである。兄が君主で、妹が最高の神巫である場合が多かつた。昔から、此二人が村々を訪問した。其が長い後まで、農村に伝承せられて、遂に尉と姥との形にまで変つて残つたのである。
田遊びの行事は、この翁媼の二人が、中心となつて行はれる。代かき[#「代かき」に傍点]の真似をする。雪をならして、松葉を植ゑる。処によつては、「もう穂が出た」などゝ、褒め言葉を言ふ。かうして刈り入れまでの所作の演ぜられるのがほんとうなのだが、其一部だけを行うても、効果はあると信じた。
此春田打ちは、田の精霊を鎮める為に行うた。其鎮魂術の舞踊が、後世に残り、五月、早苗を植ゑる時に、もう一度、これを行うた。もう一度翁が出て来て、
前へ
次へ
全16ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング