踏み鎮めの舞ひを舞うた――或は、踊りを踊つた。翁に対して、田主《タアルジ》――太郎次などゝ変りもした――が出る。此を田の持ち主と解釈する人もあるが、実は、田の精霊を象形《カタド》つたものだと思ふ。この二人が中心となつて、いろ/\な行事を行うたのだが、その中に、此が段々芸能化されて、田楽が出来た。勿論、田楽が出来たには、他にいろ/\な原因があるので、此が直接に、変化したのだとは言はれない。
地方を歩いて見ると、田楽と称するものにも、いろ/\なものがある。円陣を作り、編木《サヽラ》を用ゐるのがある。竹馬に乗つたり、曲芸の様な事をしたりするのがある。又、田楽能を主にして居る処もある。此中、どれが田楽であるかなどゝは、容易に言へない。田楽と称せられるものを、かなりあちらこちら見て歩いたが、要するに、平安朝の末から、鎌倉・室町へかけて、段々内容のふえて来たものゝ、其中の一部分だけを行つて居るので、決して、円陣を作つて、編木を用ゐるものだけが田楽である、などゝは言はれないと思ふ。さう信じなければ、地方の総てのものが、解決出来ない。田楽の出来たには、沢山の原因があるのだが、先、田※[#「にんべん+舞
前へ 次へ
全16ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング