、さま/″\の舞ひを舞うた」ので、「田遊び」と「田楽」とが、同時に並んで行はれた、一つの例と見られるのである。
一口に言へば、五月田植ゑの際に行はれた、田遊び(歌舞《アソビ》)が、平安朝の末に、呪師《ノロンジ》出の法体芸人の手に移つて――当時の民俗芸術の影響をうけて――変化したもの――或は合体したと見てもいゝ――演芸化したものが、田楽であると見ていゝ。勿論、此演芸化には、種々な原因がある。すべて民俗芸術の成立は、たつた一つの原因からばかりは見られない。いろ/\なものが関係して、其を作り上げて居る。
田楽はさうして、元の形からは変つたものが出来たのであるが、田遊びは、元のまゝのものが残つたのだ。前の栄華物語を見ても、田主《タアルジ》・翁・高足駄などが中心となつて、行事が行はれて居た。かやうに田遊びは、一方民俗芸術化して、田楽と言ふものになつたが、而も此二つが、並んで行はれた。大山寺絵巻では、田遊びと田楽と、此二つの交つたものが描かれて居るが、やはり此二つは、並び行はれたものだと思ふ。田楽が出来ても、其為に、田遊びが忘れられたとは、考へられない。また田遊びが、簡単に田楽に変つたのだなどゝも
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