る。
         鬼と天狗と
先、田遊びには、鬼が出る。時には、此が同時に天狗である事もある。昔は、この二つは同じものだつたので、鬼なり天狗なりが出て来て、田遊びを助成するしぐさがあつたのだ。ところが、民間の習はしの情ないことには、鬼・天狗と言ふ名に囚はれて、却つて此を邪魔する奴だ、と解釈する様になつた為に、今では、此らのものを降伏させる儀式が生れて居る。勿論、さうなつて行つたには、神と精霊との争ひ、精霊の降伏といふ、古い事実が印象されて居る、と見られる点もある。其でも、地方によつては、鬼と呼びながら、此を大切にしてゐるところもある。結局は、鬼も天狗も、大切なものだつたので、尉と姥と、同じ形のものだつた。だから、田楽では、天狗が大切なものになつて居る。此から、高時の天狗舞ひの様な、修羅物が出来て来たのである。
         獅子と駒と
次に、獅子と駒とが出る。此二者も、元は農村を護るものであつたのだが、今では両者とも、悪いもの・妨げをするものと解釈されて、降伏させる形になつて居るのが多い。
此は、呉《クレ》楽にまで溯つて見なければならぬと思ふ。呉楽が段々変じて、田楽に採り入れ
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