」、第4水準2−3−4]ひ――此は古い。と言うても、書物の上で古いと見られるのだ――と同じ道を歩いて、此田楽も出来たのだと言ふ事だけは、見当がつく。
田楽には、念仏の要素が、多分にある。踏歌の節会の姿も具へて居る。此が宗教化して、念仏宗の発達する、非常に大きなものになつて居るので、念仏宗の恍惚状態は、田楽と共通して居る。併し此には、長い説明を要するので、今は省く。
五 田遊び行事の種々
かまけわざ
田遊びには、いろ/\な行事が行はれるが、その中心になつて居るものは、翁・媼の所作である。それから、田畑の行事には、性的の聯想が出て来るので、感染所作《カマケワザ》がある。田ばらみ[#「ばらみ」に傍線]――此は、地名にもなつて居る――の行事がある。又、さをとめ[#「さをとめ」に傍線]が出て来る(今日実演される赤塚村のものにも、此を呼ぶ式があり、同所では、子供が出ることになつて居る)。此は、顔を包んで、神と一緒に為事をするものなので、沢山出て来る訣なのだ。頭髪を深く、布・帯の類で顔を包み、其上に、赭土・白粉で隠すのが、本態である。
此さをとめ[#「さをとめ」に傍線]に対しては、性的の行事を伴うて居るところが多い。地方によつては、此中の主なるものを、田の泥にまみれさすのがある。田の神への犠牲として、生埋めにした名残りだ、と言ふ説があるが、私はまだ、其は信じられないで居る。
さをとめ[#「さをとめ」に傍線]の出ない処では、子守りが出る。初めの所作を略して、結果だけを見せるのだと考へると、解釈はつくと思ふ(赤塚の田遊びでは、よねぼ[#「よねぼ」に傍線]と言ふのが持ち出される。男子の生殖器に、手足が出来たのだと信じられてゐる様だが、生殖器に、手足の出来るのは、をかしい。やはり子守りの形だと思ふ。勿論、此が生殖器に変化したには、理由はあるのだ)。
かけひ
田楽の方では、此らの行事が芸能化されて居る。狂言になつて行くので、其もとが、田遊びにあるのだ。此だけの事は、今も方々に残つて居るものから、断言出来る。実際に其証拠の残つて居る事は、書物の上に、たつた一箇所出て居る事よりも、確かだと言へる。書物は、総てのものを記録して居るわけではない。殊に、田舎のものなどは、見逃し勝ちである。
狂言になつて行くものを、かけひ[#「かけひ」に傍線]となづけ
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング