た。其が今日では、狛を駒と解して、馬の形に変つてしまつたから、訣が訣らなくなつて了うた。さうして、獅子と共に、降伏するのか、悪魔払ひなのか、訣らぬものになつて了うたのである。
         牛の代かき
次に牛が出る。此は、田の神――水の神と同じもの――の犠《ニヘ》なのだ。或は、田の神の為に働くものであつた。後には、実際に耕作の助けをしたので、行事にも、代かきに出る事になつてゐる。古くは、田の神の犠として大切がられたので、牛の肉を喰べた為に稲虫が発生した、などゝ言ふ附会説が出来たのも、やはり此が、神の食物と考へられて居た、印象から出て居るのだと思はれる。
         神と精霊との問答
田遊びの行事は、此らのものが、掛け合ひの形をとつて行はれるのが普通であるが、此掛け合ひの代表的なものと見られ、特別なものと見られるのは、尉と姥の掛け合ひである。ところによつては、媼が出ないで、翁だけが、二人或は三人出るところもある。此は、一人は田主《タアルジ》――田の精霊――で、もう一人は、此精霊を降伏させ、田の物成りの保証をさせに来る、遠来神である。能楽では、此二人が、白尉・黒尉で表され、外に千歳が出る。能楽の千歳は、若衆型で行はれる。
此神と精霊との間に、神授・誓約の問答のあるのが、古い姿であつたと思ふが、今は、いろ/\に変つて居る。しかし結局、田の害物が除かれて、物成りのよくなる約束が、出来る事になるのである。
         群行・練道
更に此行事で、注意しなければならぬ事の一つは、此をやる役者が、其附属して居る家は勿論、寺や社へ、其土地を褒め、田畑を褒めに、寺や社へ練り込む事である。田楽では、此が中門口となつて残つたのだが、此は、日本の宗教・芸術の発達の上では、見逃す事の出来ない、大きなものゝ一つである。
此は、服従の位置にあるものゝ、大きな為事になつて居た。此服従者は、寺の場合には、羅刹神――仏教擁護の神――と言はれて居る。大きな神社には、必附随して居るので、麻陀羅神などゝも言うた。
赤塚の諏訪の社は、相当に古い社だと思ふ。此所では、此服従者が、十羅刹女神と謂はれて居る。だから、世間からは、こゝの田遊びを、十羅刹女神の春祭りだ、と考へられて居た様だ。恐らく此行事が、十羅刹女神の祠から、練り出す形で行はれたのだらうと思ふ。勿論、今は忘れられてゐる。だが其でも、此祠の
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