うにも見える。日本の重要な部族の祖先――人数の多いことを意味させて言ふのではないが、――の移住以前の故土時代に用ゐた語といふ思ひきつた表現をしても、無理ではない程、後の正語序の発想とは違つてゐる。

     八 媛の位置

たとへば、媛踏※[#「韋+備のつくり」、第3水準1−93−84]五十鈴媛命の名に媛の語の畳用せられてゐることに、極めて遠い古代も疑ひを持つてゐたことが察せられる。ほとたゝら・いすゝぎひめ[#「ほとたゝら・いすゝぎひめ」に傍線]と言はれた名であつたのが、ひめたゝら・いすゞひめ[#「ひめたゝら・いすゞひめ」に傍線](又は、いすけよりひめ[#「いすけよりひめ」に傍線])と呼ばれるやうになつたと言ふ語原説話が行はれてゐた。語原説は語原説として、やはりひめたゝら[#「ひめたゝら」に傍線]が元で、ほとたゝら[#「ほとたゝら」に傍線]の称号の派生して来た直接の原因があり、更にさうした語原拡張を行ふ理由がつけ加つて来たのである。其は其として、此御名は、謂はゞ新古の語序を示してゐるものと言はれる。新語序で言へば、たゝらいすゞ媛[#「たゝらいすゞ媛」に傍線]と言ふべきものであつた。其が旧語序では、媛たゝらいすゞ[#「媛たゝらいすゞ」に傍線]或は媛たゝらいすけ[#「媛たゝらいすけ」に傍線]と言ふ様な形であつたのであらう。古い称号では、もつと複雑なものがあるのだらうが、さう言ふ想定を加へることは、却つて不自然になるから、素朴な形で考へて見よう。
媛たゝらいすゞ[#「媛たゝらいすゞ」に傍線]に対して、尠くとも、「命《ミコト》」は、相当後の附加で、第二次の称呼と言ふべきものである。種々雑多な古代の歴史的或は地方的な称号を統一した宮廷的称呼であつて、「ひめ[#「ひめ」に傍線]……ひめ[#「ひめ」に傍線]」だけで、通じるのである。
次に、末尾につく媛は、後代風には正当な位置に、接尾語としてあるものゝやうに見えるが、当然ある筈の地位に、敬語語尾として据ゑたゞけで、若し敬語語尾が、古くこゝにないのが、語序として正当ならば、前に言つたやうに、ひめたゝらいすゞ[#「ひめたゝらいすゞ」に傍線]でよい訣である。
後代の習慣で、語感に不安を覚えるなら、仮りにひめたゝら・いすゞの命[#「ひめたゝら・いすゞの命」に傍線]としてもよい。唯、語尾に敬語を置かず、語頭に据ゑるのが正しいとすれば、問題はない。併しひめ[#「ひめ」に傍線]乃至ひこ[#「ひこ」に傍線]と言つた語が、敬語といふ意識を以てはじめから使はれてゐたか、どうかは問題である。神聖な資格を示す名であつたのが、次第に敬意を孕み出したのであるから、古くは自ら別途の意義を表してゐたものと考へてよい。語頭にひこ[#「ひこ」は太字]の遺つた例は、之に比べると、極めて豊富である。

     九 彦の論

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ひこ・くにぶく(彦国葺)
ひこ・さしり(彦狭知神)
ひこ・いつせ(彦五瀬命)
ひこ・ます[#(ノ)]王《ミコ》(彦坐王)
      ┌   [#(ノ)]主┐
ひこ・さしま│彦狭島       │
      └   [#(ノ)]神┘
ひこ・ほゝでみ(彦火々出見[#(ノ)]命)
ほゝでみ(火々出見命)
あまつひこね(天津彦根命)
あまつひこねほのにゝぎ(天津彦根火瓊々杵尊)
あまつひこひこほのにゝぎ(天津彦々火瓊々杵尊)
かむやまといはれひこほゝでみ(神日本磐余彦火々出見天皇)
ひこなぎさたけうがやふきあへず(彦波瀲武※[#「顱のへん+鳥」、第3水準1−94−73]※[#「茲+鳥」、第3水準1−94−66]草葺不合尊)
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「彦」を名頭《ナガシラ》に頂いた人名(神名)は、単に之に限らず相当に多いが、大抵は、純然たる逆語序時代に固定したものが、忘却の時代に入つて安定状態にあると言つた風のおちついた語感を与へてゐる。だから、かうした人名が行はれ、固定し、運搬せられて来て、死語化した歴史を、一語々々が示してゐると言つても、言ひ過ぎではない。殊に神名の系統の語の中には、旧語序によつて出来てゐる語の形に倣つて出来た――たとへば奈良時代前になつたと見える新しい古典語などもあつたらしい。中には、くにぶく彦・さしり彦・いつせ彦・さしま彦など言ひかへても、元の名の持つた感覚をうけとることの出来さうな種類もあつて、多くの古代人名の間には旧語序から新語序におき替へて伝つたものもあることを思はせてゐる。併し書物に残つた多くは、新語序時代には、すでに静かに固定して、さう言ふ風に言ひかへる必要がなくなつてゐたのであらう。
殊に、ひこいつせ[#「ひこいつせ」に傍線]の場合は、五瀬命を、古い語序では成程さう言つたらうと思はれるものがある。即、五瀬命或は「五瀬彦[#(ノ)]命」と言ふべき所である。
「ほゝでみ」「ひこほゝでみ」は、古代宮廷で尊信した祖先に共通した呼び名であつたらしく、彦火々出見尊からその前の瓊々杵尊に溯り、又降つて神武天皇に至るまで、たとへば神日本磐余彦火々出見[#「彦火々出見」に傍線]天皇と言ふ風に、ひこほゝでみ[#「ひこほゝでみ」に傍線]と称してゐた。
詳しく考へれば、尚問題はあるが、大体には、「彦火々出見」が天皇の聖名で、神日本磐余が天皇の個称――元来、地名――と言ふことになる訣だ。此も、後の古典的に整頓した称呼、ひこほゝでみの命[#「ひこほゝでみの命」に傍線]と言ふ訣だが、古くは、ほゝでみ彦[#「ほゝでみ彦」に傍線]といふ風の名であつたのだらう。
ひこなぎさ[#「ひこなぎさ」に傍線]は「波瀲彦 武※[#「顱のへん+鳥」、第3水準1−94−73]※[#「茲+鳥」、第3水準1−94−66]草葺不合尊」と言ふ風な語序に置き替へて見れば、理会し易い語であらう。
ひこほ[#「ひこほ」に傍線]の上に、あまつ[#「あまつ」に傍線]を伴ふ呼称例も多い。更に一つひこ[#「ひこ」に傍線]がついて、あまつひこひこほのにゝぎ[#「あまつひこひこほのにゝぎ」に傍線]と言ふ例もある。文献時代の誤写か、其に先《さきだ》つ伝承時代の聞き違へ、聯想の錯誤かとも思はれるが、古典研究に大切な準拠をなくする事になる。この名などは、同時にさうした形が、最正しい古い名の形と考へてかゝる必要があるやうだ。天つ彦が一部、彦火瓊々杵尊が又一部、と言ふ風に、一称号を分けて考へれば理会することが出来る。
「天つ彦」は新語序時代に入つてゐるし、「彦火……」は旧語序の姿を止めてゐるのである。かうした語序錯雑は、伝承と歴史との時代を経て重つて来たものと思はれる。又逆に、彦天津といつた逆語序も行はれてゐたことは想像出来るが、この外にも後代に「天津彦」が残つてゐる。大抵天津彦であると同時に、天の神聖に属するその聖子と言つた意を持つ、纏つた熟語になつてゐる。
天津彦根と熟することが、其事を明らかに示す。天津彦根 火瓊々杵尊から、寧ろ単純化せられた形と思ふべき天津彦根命・天津彦尊などが出て来る。更に再複合して、天津彦 国光《クニヒカル》彦火瓊々杵尊と言ふやうな複雑なのにもなつてゐる。「国光火瓊々杵」といふ形に彦がつき、其が対句になつて、天津彦国光彦と言ふ形を採つたと見られる。(おなじ理由で、形は違ふが、天津国光彦々瓊々杵と言ふ風にも説ける。)かうした神名を表出する宗教的恍惚時の心理は、潜在する印象の錯出するものだから、単純な一方的な理会をしようとすることの方が、却つて不安を誘ふ。
何にせよ、長い伝承の間に、語序が入り乱れて、ひこ[#「ひこ」に傍線]の用語例さへ明らかでなくなつたのだが、此だけは言つてもさし支へがない。
逆語序時代には、ひめたゝら[#「ひめたゝら」に傍線]同様、語頭に来てゐたものが、正語序になつては、語尾に移された。併し尚古典感の極めて固定してゐたものは、語頭に留めておくと共に、正語序時代の方法によつて、今一つ同様な語を、据ゑることになつた。其為に、『ひこひこ(彦々)』の場合の如く、唯古典感を添へるだけのものになつて残るのである。
彦穂は、ひこほ[#「ひこほ」に傍線]と熟してゐる語のやうに普通考へて来てゐる。併し此も、ひこ[#「ひこ」に傍線]とほ[#「ほ」に傍線]とは元は結合してゐたものでない。やはりひこ[#「ひこ」に傍線]は逆序の「ひこ……」であつたのが、後に、たとへば天つひこ[#「天つひこ」に傍線]と言ふ様に正序の考へ方から、上の語について来た。さうした段階を経たものゝ上に、更に正序の「天つひこ」に「ほの……」が接したものと考へねばならぬ様だ。併し「ほ」は支那風に言へば、火徳ある上帝[#「上帝」は太字]と言ふやうな、一種の讃頌の語と考へられ易い。さう考へられるやうになつたのも事実に近いが、元々帝徳を言ふものゝ様に、古代において既に解釈してしまつてゐたやうであるが、恐らくある時代の君主のとてみずむ[#「とてみずむ」に傍線]の標示であつたものと解すべきであらう。動物・植物以外の天体・光線・空気等の族霊《トテム》を持つ部族の首長の類であつたことを見せてゐるものと見る方が適当らしい。即、「ほ」は「火」或は「日光」を標示してゐるのである。
ほの・にゝぎ・ひこ[#「ほの・にゝぎ・ひこ」に傍線]と言つた正序の形が成立しないでしまつたものと見られる。その以前の姿で残つたのが、ひこ[#「ひこ」に傍線]・「ほのにゝぎ」であり、其に尊称語尾を整頓して、「ひこほのにゝぎのみこと」と、正語序時代の語感を満足させてゐるのである。
彦や媛の上にあつた事実が、他にあつても不思議はない。前に出た「ひこなぎさ・たけ・うがやふきあへず」と言ふ名は、「なぎさひこ・うがやふきあへずたける」と正語序時代なら言ふ所であらう。これは、讃称を二つ持つた神名である。ひこ[#「ひこ」に傍線]とおなじ位置にあるたけ[#「たけ」に傍線]は、語頭にある時の形で、語尾に来る時はたける[#「たける」に傍線]と言ふのである。たけ[#「たけ」に傍線]・わか[#「わか」に傍線](稚)など、性格表示と、讃称とを兼ねた語頭の語が、語尾に廻ると、「……建《タケル》」「……別《ワケ》」と言ふ風に、古い姓《カバネ》のやうな感覚を持つて来る。さてこゝに、神名らしい感覚を持つものをあげて見たい。
神功皇后紀に、「七日七夜に逮びて、乃答へて曰く、神風伊勢国の百伝度会県《モモツタフワタラヒカタ》の析鈴五十鈴宮《サクスズイスズノミヤ》に居る神、名は撞賢木厳御魂天疎向津姫《ツキサカキイツノミタマアマサカルムカヒツヒメノ》命……」と言ふ名のり[#「名のり」は太字]をはじめに、幾柱の神が出現して来る。此最初に現れるのは、天照大神の荒魂であると言ふことになつてゐる。此条の日本紀には、一書があつて、別の伝へがある。「……三神の名を称《ノ》りて、且重ねて曰はく『吾が名は、向匱《ムカヒツ》男聞襲大歴五御魂速狭騰尊なり』……」と言ふのである。此神名は、本書と一書で、別々の二様の男女の神名になつて現れてゐる。が、共通の部分の多い語組織である。向匱=向津(ムカヒツ)・五御魂=厳[#(ノ)]御魂(イツノミタマ)・速狭騰=天疎(ハヤサカリ=アマサカル)此だけ共通で、神の性が本書では姫、一書では向匱男[#「男」に白丸傍点]とあるから男神なのであらう。此点は、同神が女性と男性とに別れて現出したものと見るべきで、問題はない。それと、聞襲大歴(キキソオホフ?)と撞賢木《ツキサカキ》の句、尊[#「尊」に白丸傍点]・姫命[#「姫命」に白丸傍点]の語尾、この二つが対照して見える所である。聞襲大歴と撞賢木は一方は疑ひなく、つきさかき[#「つきさかき」に傍線]だが、一方はどうしても、さうは読まれない。つきさかき[#「つきさかき」に傍線]と言ふ枕詞式の句が、一方にも同じくあるが、こゝだけ非常に違つて、他には別に変りはない。唯認められる変化は神名の語序が、よほど入れ違ひになつてゐる点である。かうまで変つてゐるのは、記憶や記録の錯乱とは言へない。却つて両方ともある確かさを示してゐる。
本書流に整頓して見ると、

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