」は太字]の地で、如何にも「丘傍《ヲカガタ》」と言ひ替へてもよい気のする地である。ところが、後漸く語感の変化に誘はれて傍の丘又は、里の傍の丘と言ふのに近く、聯想の移動して行つて、久しく固定したまゝに用ゐられた地である。
傍丘の名のついた其丘は、近代「馬見山《マミヤマ》」と称へる丘陵で、北は法隆寺の南方の岡崎と言ふ地から起り、その丘陵地帯が西から南へ廻り、東に向つた所に又、岡崎と言ふ地があつて、そこで岡はきれてゐる。この岡崎から岡崎に渉る丘陵を「丘」と言ふやうになつたので、元はその「丘」のほとりの平地帯が、傍丘であつたのである。この傍丘地方にある丘故、遂に丘を傍丘といふ風に考へ、片岡山と言ふ名で、その丘を呼ぶのが、古くから岡の方に移つた地名なのである。
片岡は分布の多い地名で、山城にも、名高い二つの片岡がある。万葉には、何処の丘陵地帯を言つたのかわからないが、「片岡のこの向つ尾に椎まかば……」(巻七)と言ふのがある。「傍丘山即この向ひの丘《ヲ》なる傍丘山」と言ふ風に解するやうだが、こゝも亦、「岡の傍の村(平坦地)の向ひの岡」と言ふことで、岡から起つた地名の、其地の前に立つ岡をさすのである
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