序問題について注意を促すほど著しいものと思はれないだらう。とりみる[#「とりみる」に傍線]とみとる[#「みとる」に傍線]との間に、普通の人は、それほど感覚的な差異を感じないであらう。が、訣り易く言へば、万葉と新古今との用語ほどの相違はあるのである。少くとも、歌で言へば、古今集といふ溝渠を隔てゝ対ひあつてゐる語のやうな気がする。此はわかり易い比喩で、三つの歌集が、適切に事実を示してゐるのではない。

   第二部 日本語としての沖縄語

私のこの論述は、単に日本と沖縄との言語の親縁関係ばかりを説く為の計画から発足したものではなかつた。多くの学者によつて、いまだに明らかに認められてゐない、日本語における古い別殊の語序が、曾て存在した事が事実であり、その印象が、今日尚近代語的な感覚を持つ文章語の上に見られることを言ひ、さうした事実が、同族言語の中で、どの方面へ最有力に関聯性を著しく見せてゐるか、さうしたことが見たかつた。之を逆語序の事実の上において見ることが一等有効ではなからうかと思つた為である。
日本語との本末関係は固より、その後度々方言としてとり入れた為の複雑な混淆状態を経て来た沖縄語と、まづ比べて見たかつたのである。さうして、今までのところでは、親近関係の、想像してゐるほど明らかにせられてゐない南方諸語族との比較の為の準備をしておかうとしたのである。
琉球系統の言語では、語尾につく小《グワア》が、まづ人の注意を惹く。その中には、何子・何々子と言ふ風の愛称、日本語にも通常用ゐられ――殊に東北語に多い、あの愛称又は愛玩物を言ふ語尾の ko …… kkoo …… ko …… kko ……に当るものがある。其と共に「小なる」「小き物」と言ふ観念を表す小《グワア》が極めて多い。此は二つながら一つで、愛称のぐわあ[#「ぐわあ」に傍線]は心理的に言ふのであつて、小観念を表す方は、差等観を出してゐるのである。日本の人名・器用・動物などに接尾語のやうにつくこ[#「こ」に傍線]は、小観念が抽象的に心的なものを示すのであつて、対象物を比較において言ふのではない。畢竟、何よりも愛賞に堪へるものと言ふ極愛観[#「極愛観」は太字]から来るのである。時としては、比較を設定しておいて、大小を観じることも、唯一つに向けて愛を言ふことも、おなじであつたらう。其が自然に分れて来たものと言はねばならぬ。語序的に見れば、人名の語尾・器用の語尾などの「子」は、逆語序的な言ひ方と考へることも出来る。「こ何」と言ふ風に観じてもわかる。我々は今も、「小さい所の」「大きい方でない方の」と言つた理会の外に、愛称として感じることの出来る余地は、心に持つてゐるのである。

     一 「ぐわあ」と「がま」と

首里の巫女「大阿武志良礼《ウフアムシラレ》」は代々|久高《クタカ》氏の女性を出す、極めて古い為来《シキタ》りであつた。中古と伝へる時代に、一門にふさはしい人がなく、臨時に「大あむしられ」を見立てたが、一方旧慣を守つて、七歳の久高氏の女を「首里のろがま」と称へ、祭に当つて、「のろがま」を「大あむしられ」の先に立てた、と琉球国諸事由来記その他に伝へてゐる。小さかつた人を立てたのが恒例となつて、「のろがま」といつた訣である。小女神主と言ふやうな意味においていふのが、のろがま――「巫小」である。がま[#「がま」に傍線]は後代普通にぐわあ[#「ぐわあ」に傍線](小)となつた語である。
日琉共に、愛玩の意を持つた子・ぐわあ[#「ぐわあ」に傍線]がある場合には、「何子」「何ぐわあ」と言つた形で、正語序の「小何」「子何」に当る意義を示す。
琉球の方で言ふと、犬ぐわあ(犬小)が「小犬」であり、橋小《ハシグワア》が「小橋」であることを通例としてゐる。東北方言における「橋こ」「犬こ」である。我々は今「橋子」「犬子」といふ風に感じるが、小犬・小橋でもない替り、橋子・犬子でもなく、鍾愛の橋、可憐の犬なることを示す、心理的表現なのである。形は同じであつて、彼と是とでは、両方に別れてゐる。だが、沖縄では必しも、今も昔も、両方に渉つて用ゐられてゐる例が、ないとは言へない。寧ろ一つの偏向として、差等観を示す「何小」が次第に殖えて来たまでゞあらう。一つの心理を元としてゐるものなのだから、中間の観念が次第に自由になつて、両方に跨つて使はれるやうになつたものと思はれる。
併し何としても、形は純乎たる逆語序である。おなじ小観念を示すものに、小《グ》(<小《コ》)がある。鳥小堀・魚小堀など言ふ地名がある。首里の「とんぢよもい」、那覇東村の旧地「うをぐぶい」など発音する地が其だ。小は、く・ぐ(<こ・ご)であるから、ぐわあ[#「ぐわあ」に傍線]と音韻上関係がありさうに見えるが、此は、別の語である。其に語序も、濠・渠を意味す
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