たける」と正語序時代なら言ふ所であらう。これは、讃称を二つ持つた神名である。ひこ[#「ひこ」に傍線]とおなじ位置にあるたけ[#「たけ」に傍線]は、語頭にある時の形で、語尾に来る時はたける[#「たける」に傍線]と言ふのである。たけ[#「たけ」に傍線]・わか[#「わか」に傍線](稚)など、性格表示と、讃称とを兼ねた語頭の語が、語尾に廻ると、「……建《タケル》」「……別《ワケ》」と言ふ風に、古い姓《カバネ》のやうな感覚を持つて来る。さてこゝに、神名らしい感覚を持つものをあげて見たい。
神功皇后紀に、「七日七夜に逮びて、乃答へて曰く、神風伊勢国の百伝度会県《モモツタフワタラヒカタ》の析鈴五十鈴宮《サクスズイスズノミヤ》に居る神、名は撞賢木厳御魂天疎向津姫《ツキサカキイツノミタマアマサカルムカヒツヒメノ》命……」と言ふ名のり[#「名のり」は太字]をはじめに、幾柱の神が出現して来る。此最初に現れるのは、天照大神の荒魂であると言ふことになつてゐる。此条の日本紀には、一書があつて、別の伝へがある。「……三神の名を称《ノ》りて、且重ねて曰はく『吾が名は、向匱《ムカヒツ》男聞襲大歴五御魂速狭騰尊なり』……」と言ふのである。此神名は、本書と一書で、別々の二様の男女の神名になつて現れてゐる。が、共通の部分の多い語組織である。向匱=向津(ムカヒツ)・五御魂=厳[#(ノ)]御魂(イツノミタマ)・速狭騰=天疎(ハヤサカリ=アマサカル)此だけ共通で、神の性が本書では姫、一書では向匱男[#「男」に白丸傍点]とあるから男神なのであらう。此点は、同神が女性と男性とに別れて現出したものと見るべきで、問題はない。それと、聞襲大歴(キキソオホフ?)と撞賢木《ツキサカキ》の句、尊[#「尊」に白丸傍点]・姫命[#「姫命」に白丸傍点]の語尾、この二つが対照して見える所である。聞襲大歴と撞賢木は一方は疑ひなく、つきさかき[#「つきさかき」に傍線]だが、一方はどうしても、さうは読まれない。つきさかき[#「つきさかき」に傍線]と言ふ枕詞式の句が、一方にも同じくあるが、こゝだけ非常に違つて、他には別に変りはない。唯認められる変化は神名の語序が、よほど入れ違ひになつてゐる点である。かうまで変つてゐるのは、記憶や記録の錯乱とは言へない。却つて両方ともある確かさを示してゐる。
本書流に整頓して見ると、
[#ここから2字下げ]
聞襲大歴 ┐ はや┐ をの ┐
├いつのみたま・ ├さかる(り)むかひつ・ ├みこと
つきさかき┘ あま┘ ひめの┘
[#ここで字下げ終わり]
かうした神名が、単に偶然に関係なく現れたものとは言へない。必、相当に自由な語序の入り替りのあることが考へられる。
私は今まで、普通日本語の語序による言語排列を正語序とし、それに対照的な姿を見せる、其より古い排列を示すものを、逆語序と称へて来た。が、言ふまでもなく、此は常識を目安として言ふだけである。正逆と言ふ拠り所はないのである。強ひて言へば、われ/\の使つてゐる語に出て来て極めて多くの語に通じる語序を、正序と言つてゐるだけで、新を以て判断の標準とするのだが、古い形を正しいものとする今一つの常識からすれば、この正逆語序は、逆様に考へられても為方がない。この件の神名の変化は、長い年月日の間に起つたのではない。信仰上の記憶の実情として、割りに近い期間に、かうした語序変化は現れたものに違ひない。
正逆語序の事実について、今一つ注意せねばならぬことは、語序変化と言ふ様な、久しい時間をかけての事実は、その原因を明らかに示すことは出来まい。さうした観察の為になる、平凡な事実を今すこし書きつけておかう。
十 荷前 かたみ
その年に出来た初刈り上げの荷、野からまづ搬び出した稲を神に示す地方農村古代の行事があつた。地方の旧国から、その誰にも触れさせてゐぬ荷を、宮廷に搬ぶことの意味において、のざき[#「のざき」に傍線]と言つたのである。此初荷を更に宮廷から、伊勢や、陵墓へ進められる使者をのざき[#「のざき」に傍線]使ひといふ。荷前と書いた字面の示すやうにまつさき[#「まつさき」は太字]の荷と言ふことである。久しい慣用の後、中世までも此語は使はれた。其様に、のざき[#「のざき」に傍線]は先荷の意味を見せた逆語序の語である。而もの[#「の」は太字]と言ふ形でさき[#「さき」に傍線]と熟した形を見ると、音韻変化がに[#「に」は太字]からの[#「の」は太字]に単純に行はれたのではない。もつと有機的な屈折があつたのである。其と今一つ、われ/\が機械的に考へてゐる、に[#「に」は太字]とさき[#「さき」は太字]との結合が、さき[#「さき」は太字]と荷[#「荷」は
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