交替期は、若しあつたと言へるにしても、遥かに古い時代の事であつて、其は現実としては考へられないやうなもので、空想と同じである。が、さうした努力は、相当長期に渉つて続けられてゐたので、唯何となく、語原的にはふり替るやうに感じてゐるだけで、必しも順から逆へ逆から順へとも言ふ意識なく、唯今までの形と、変化さへ行はれゝばよいと言ふやうな精神誘導力の為に、何となくかはり/\して来たものと思うてよいのだらう。恐らく徐々として、全体に及んだ筈の語序変化の余勢が、遅れて尚行はれてゐるものもあり、又逆に再、正序から逆序へ戻つたものもあらうし、――どちらが逆だといふことはない訣だが、後世の日本語では、基準として姑く、さう称へてゆく外なからう。正語序に置かれたものゝ方が、殆絶対に多いのであるから――其と同じ語序が可なり遅くまでくり返されてゐて、むざね[#「むざね」に傍線]・さうじみ[#「さうじみ」に傍線]の様な、後世的特徴を持つた国語的性質を、新入漢語の上に表して来たものもあつた訣だ。だから中には勿論、語序変化にとり残されたものもあるので、中世国語がその散列相を示してゐる訣である。そのとり残された姿が、新しい変化の及びにくい固有名詞の上に見られる事の多いのは、当然である。而も其間に、其以外のものにも残つてゐるものゝ見つけられる、今までの例のやうなものも、時としては、語序が逆になつてゐても、其は当然あるべき普通のことのやうに思つて来たことであつた。

     七 人名について

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新羅媛善妙《シラギヒメゼンメウ》
百済媛妙光

中臣[#(ノ)]金[#(ノ)]連
中臣[#(ノ)]鎌子[#(ノ)]連(又、中臣[#(ノ)]鎌足[#(ノ)]連)

蘇我[#(ノ)]稲目[#(ノ)]宿禰
蘇我[#(ノ)]馬子[#(ノ)]宿禰
蘇我[#(ノ)]蝦夷[#(ノ)]宿禰
蘇我[#(ノ)]赤兄[#(ノ)]臣
蘇我[#(ノ)]倉麻呂[#(ノ)]臣

物部[#(ノ)]目[#(ノ)]連
物部[#(ノ)]尾輿[#(ノ)]大連
物部[#(ノ)]弓削[#(ノ)]守屋[#(ノ)]大連

大伴[#(ノ)]談《カタリ》[#(ノ)]連
大伴[#(ノ)]金村《カナムラ》[#(ノ)]大連
大伴[#(ノ)]長徳[#(ノ)]連
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この日本紀の人名排列は、一見正逆の語序をまじへたものゝ様に見え、又自然な並べ方のやうにも見られるだらう。
たとへば、「百済[#(ノ)]池《イケ》津[#(ノ)]媛」など言ふのを順当と解すれば、媛といふ称号は、唯の敬称のやうに、近代の感じ方では思はれるだらう。併し古代宮廷の慣例によれば、夫人・媛は、三韓の貴族の女性の官或は族姓を示す称呼である。「狛夫人某と、新羅百済の媛善妙・妙光其他を度《ド》した」(崇峻三年紀)とあるのは、新しく彼地から来た人々で、菩提寺で得度せしめたものゝことを言ふのである。新羅媛・百済媛はその族姓を示し、善妙・妙光は名を言ふものと見られる。雄略二年紀には、媛を後にしてゐる。此はやはり同様に見るべきもので、百済媛池津とあるに等しく考へてよい。中臣氏の金《カネ》・鎌足等に、連姓のつく様子は、日本紀記録――或は日本紀資料記述時代に、既に姓の下に廻る風の現れてゐたことを示すものであらうが、一方又、姓が敬称としての感覚を表す様になつて来たことを見せてゐるらしいのである。他の家々の宿禰・臣・連などの位置が、同じ時代に上にも下にも置かれるが、概して下になる傾向が出てゐる所に、新古の感覚の相違が出てゐる。後になるほど、真人や朝臣が姓と言ふより敬称として用ゐられた。某位以上を朝臣と敬称すると言ふやうな風は、かう言ふ傾向から誘はれてゐるのであらう。
元来、敬称を示すことを目的とするものではなかつた姓が、氏名から放されて、人名の下につくやうになる。此は単なる語序変化に過ぎない。ところがさうなると、人名に対して、姓が個的な関係を深めて感じさせる。
かうして、姓と氏と名との位置の動いて行くのは、社会感覚の変化によるやうに見えるが、根柢の理由は、語序変化にある。さうした語序と敬語感覚との交錯交替する様子が思はれるのである。
傍丘の如きは、半固有名詞と言ふ事も出来るもので、日常常用物の表現例として、下簾・韈・梯立のやうに残つたものと、一様に見てよからう。

旧語序によつて、表現せられてゐた時代――或はさう言ふことが、旧語序を持つ言語族に偏して甚一方的な言ひ方であるかも知れぬ。――は、相当に古い過去で、我々が想像する古代とは、状態が違ふやうである。さうした語序の語が、普通に使はれてゐた状態は、古代文献によつて印象せられてゐるばかりで、我々の想像を超越したものと思はねばならぬ。その後の文献には窺はれないほど、連絡のきれたと思はれる姿があるや
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