那志按司一員が出てゐる。敬称ばかりのやうだが、極めて素朴な神名から転じたらしい感情を持つたものだ。嘉那志按司君など言ふ風に、必しも正逆を論じなくとも、適切感が浮んで来る。かう言ふところに正逆の別れる以前の気味合ひが窺はれるのだらう。
今一つ、此は更つた気持ちのするものだが、君清良大按司志良礼《キミキヨラオホアンジシラレ》(尚氏北谷王子朝里女、尚氏具志頭按司朝受室)は、記録上の一員の名をあげたもの。「きよらぎみ……」と正語序には行つてゐない。この女君名は、如何にも拝所その他に斎く神名にもありさうな古風なもので、神号としても古いものだらう。言はゞおもろ[#「おもろ」に傍線]風の名である。
弓張月を読んだ人は、皆「君真物《キンマモノ》」といふ霊物を、異様な妖怪のやうに感じた記憶をお持ちだらうが、沖縄では極めて神聖な君であつた。王宮附近に託遊する神で、神々の中、最霊威のあるものと見たのである。だが、首里にのみ現れるのでなく、所々に出たやうである。八重山攻めの際も、「彼島の君真物現れ、君南風を迎へる」と伝へてゐる。
おもろ双紙[#「おもろ双紙」に傍線]尚真を讃美したおもろ[#「おもろ」に傍線]にも「せだかさのまもの」とある。せだかさは、稜威高《セヂタカ》き所の真物といふ事で、真物は其神格を褒めたのだ。君真物は、即真物君で、人間には神とも女君とも判断の出来ぬ霊力を持つて現れるもので、真実は、巫女の託遊するものである。「首里見物君」「平良見物君」とある女君の名が、逆序で行けば、君見物である。此為の註釈には役立つ。沖縄の神の出現は女君によつてするものが、その中女君の身に託して、男神も多く現れるのである。君の縁で言ふのだが、正語序のやうに見えるもので、世治新君《セヂアラキミ》按司といふ女君の名がある。おもろ双紙にも、王を褒めて「せちあらとみ」といふ語の見えることは、先に触れておいた。せぢ[#「せぢ」に傍線]は日本で言ふ稜威《イツ》である。あら[#「あら」に傍線]は新の字を宛てるが、出現の意に使つた類例が多い。「せちあらきみ」は神威著しき女君といふことらしい。扨今一つのとみ[#「とみ」に傍線]は、とよみ[#「とよみ」に傍線]といふ語の熟語馴化である。宮廷に仕へてゐた勢頭《シヅウ》九員(諸事由来記)皆、勢遣富・世高富・謝国富・島内富・押明富・勢治荒富・相応富・世持富といふ風に富の字を以て
前へ
次へ
全31ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング