なし[#「かなし」に傍線]と同義語と言つてもよい程、「思ひ子」「思ひ君」など言ふ風に、特に寵愛を言ふ日本語である。此亦神の愛を受けるものなることを示す。女君の中、相当の高級にあつたうわもり[#「うわもり」に傍線](上森と宛て字する)――首里うわもりあんじ[#「首里うわもりあんじ」に傍線]・我謝うわもりあんじ[#「我謝うわもりあんじ」に傍線]・世高うわもりあんじ[#「世高うわもりあんじ」に傍線]・伊良部世高うわもりあんじ[#「伊良部世高うわもりあんじ」に傍線]のもり[#「もり」は太字]は、このもい[#「もい」に傍線](思)である。親雲上《ウヤクモイ》・のろくもい[#「のろくもい」に傍線]と男女並び言うたくもい[#「くもい」に傍線]のもい[#「もい」に傍線]も此で、「く」は別語であらう。「つかさくもいあんじ」のくもい[#「くもい」に傍線]のもい[#「もい」に傍線]も此らしい。「神のかなし人」「神の思ひ子」なる表現が、呪術的意味を持つてゐることは勿論である。古代日本語の習慣で言ふと「愛《カナ》しき何某」、もつと古い言ひ方だと、語根風になつたかなし[#「かなし」に傍線]を用ゐて「愛《カナ》し何某」と言ふ所だ。日本語琉球語の近接性から言へば、「何某かなし」は、さうした「かなし何某」の逆語序だと言つてよい。さうして旧語序によつて出来た語が、それ自身時代を経て、語序は語序のまゝに進んで行つた言語情調を経た訣である。かう言ふ相違が、同族どうしの間の分化状態を示すものなのである。
日本語では、おもひ[#「おもひ」に傍線]を接尾語風においては、理会が出来ない。「思ふ何某」「思ひ何」といふ。其が逆語序で、「何某思」といふ風に表現せられて、童名の「何々思」「何思加那志」となるのである。だから、此「思《モイ》」も逆語序である。
三 按司
按司系の語については、語序の上の考へはまだ纏つてゐない。唯女性の按司は、按司といふ時は、かはりはないが、その対語のちやら(<かわら)をいふ時は、女《ヲナ》ちやらと称した。又、あや按司しられ[#「あや按司しられ」に傍線]とも言ふ。此場合は、按司部――諸侯に当る――の室である。あや[#「あや」に傍線]は君真物《キンマモン》出現の時、女按司部《ヲナチヤラベ》は、「綾の衣を著たから」と、女官御双紙にはあるが、危い説だ。あや[#「あや」に傍線]は国王の夫
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