様だが、さうではない。そねめつなぎて[#「そねめつなぎて」に傍線]と続くのでなく、其根芽つながつて居ると言うて、つなぐ[#「つなぐ」に傍線]と言ふ全体と言ふ様な語に転向したのである。
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笹葉にうつや霰の たし/″\に率《ゐ》ねてむ後は、人|議《ハカ》ゆとも(允恭記)
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「たし/″\に」は擬声から、確実にと言ふ意にふり易へたのだ。
譬喩でない為に、内容と交渉がない。そこに意義を求めようとする無意識の習慣が、気分を受けとることになる。万葉になると、末にはこの点に意識を発してゐる様だが、能動的な運動は見えなかつた。古今になると、枕詞・序歌に描写以上の職能のある事を認め出して、既に濫用に傾かうとしてゐる。最多く比と興とを混用した様な姿になつてゐる。
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ふゆごもり 春の大野を焼く人は、やき足らじかも、わが心焚く(万葉集巻七)
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此ほどまでになつた譬喩歌は、万葉に発達して、後には一部門をせなくなつた。万葉の末期は譬喩全盛で、枕詞や序歌の様な部分的のでは満足しなくなつた。寄物陳思・譬喩歌の二つの部類が出来たが、比・興と言ふ程の区別もない。稀に象徴的な効果を持つて居るものもあるが、大抵単なる譬喩歌である。
つまりは、元々一文章の大部分を占めて居た部分が小さく約《つづま》り、其が新しい意義に甦つたことになるのである。
序歌・枕詞につけて言はねばならぬのは、縁語・かけ詞である。
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ちはやびと 宇治の渡りに、渡り瀬に立てる梓弓檀弓。射発《イキ》らむと心は思《モ》へど、射捕らむと心は思へど 本べは君を思ひ出 末べは妹を思ひ出、いらなけくそこに思ひ出、かなしけくこゝに思ひ出、いきらずぞ来る。梓弓檀弓(応神記)
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弓の材料なる梓と檀とを譬喩に使うたのである。さうして木の縁から、伐る・採るといひ、本べ・末べと聯想してゐる。既に縁語としての為事をしてゐる訣だ。序歌・枕詞の効果が、対立的に現れる時は、縁語が出来る。
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武蔵野に占《ウラ》へ、象《カタ》灼《ヤ》き、まさでにも告らぬ君が名、表《ウラ》に出にけり(万葉巻十四)
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まさ[#「まさ」に傍線]は卜象の正しく著しい意の語。其にまさで[#「まさで」に傍線]と言ふ副詞とをかけ、うらは[#「うらは」に傍線]占と顔色《ウラ》とをかけた姿になつてゐる。まさ[#「まさ」に傍線]・うら[#「うら」に傍線]は占ひの縁語であるとも言へよう。無意識であらうが、今一歩進めば、意識に上るのである。万葉にも、既にある部分までは、縁語を技巧視せぬまでも、喜んだ傾向の歌は見える様に思ふ。段々進むと、別様の道を通つた様に見えるが、縁語・かけ詞は此方面からばかり発達したのである。武蔵野の歌は「……象灼き」まで序歌なので、実際内容には、関係がないが、どうかすれば、武蔵野占法に占うても現れぬ君の名が、まざ/\と……言ふ風にとれる。かう言ふ内容に対する考への変化が段々縁語・かけ詞を発達させて、首尾交錯して剖《わか》つことの出来ないのを特徴とする様な病的な修辞法が出来て来たのである。



底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
   1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月25日発行
※題名下に「大正十五年一月草稿」の記載あり。
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年一月草稿」はファイル末の「注記」欄に移しました。
※「射る的方《マトカタ》[#「的方《マトカタ》」に傍線]」は底本では右側に傍線、左側にルビがついています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年9月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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