寿詞に結びついて伝誦せられ、民謡・創作詩の時代になつても、修辞部分として重んぜられてゐた。創作詩の時代に、枕詞の新作せられたのもあるが、記紀などに、見えるのは、多く固定した死語として物語の中に伝はつたものである。
社会局の谷口政秀氏は、枕詞は沢山ある物語の心おぼえで、何々枕詞の最初にある物語と言ふ風にして居たのだらうと言はれた。此もおもしろい考へではある。自然さうした為事も出て来たにしても、起りは其では、説明が出来ない様である。
譬喩表現をとり入れてからは、枕詞や序歌は、非常に変化して了うたが、元は単純な尻取り文句の様なものであつたのである。其が内容と関聯する様になると、譬喩に一歩踏み入る事になる。忽《たちま》ち対句の方で発達した譬喩表現に圧倒せられて、姿は易つて了うたが、でも、玉桙・玉梓《マヅサ》と言へば道・使を聯想したのは、譬喩にばかりもなりきらなかつたのである。駆使《ハセツカヒ》に役せられた杖部《ハセツカヒベ》の民の持つたしるし[#「しるし」に傍線]の杖を、棒《ホコ》と言ひ、棒の木地から梓と言うたのである。かうしたものは、段々なくなつて、純粋譬喩に傾いたのが、主として人麻呂のした為事であつた。死んだ一様式を文の上に活して来たわけである。
[#ここから2字下げ]
秋|葱《キ》の甚重《イヤフタ》ごもり 愛《ヲ》しと思ふ(仁賢紀)
山川に鴛鴦《ヲシ》二つ居て、並《タグ》ひよく並《タグ》へる妹を。誰か率《ヰ》にけむ(孝徳紀)
[#ここで字下げ終わり]
此等は単に譬喩であつて、古い意味の枕詞ではなかつたであらう。其が、藤原・奈良になると、両方から歩みよつて了うたのである。
枕詞と言ふ語は、後世のものであるが、古い形のものと、新しい形のものとを分けて言ふ場合、おなじく枕詞と言ふ名で扱はれて来たものゝ間にも、区ぎりは置かねばならぬ。枕詞と言ふ名はよくない。唯仮りに用ゐる外はなかつたのだ。だから、枕詞の本体は寧、道行きぶりや、物尽しの方へ伝はつて行つてゐるのであつた。
日本の律文には、古くから「比」と「興」とはある点まで分立して進んで居たのであつた。序歌・枕詞の方は、気分を示す方面へ進んだ。
[#ここから2字下げ]
みつ/\し 久米の子らが 粟生《アハフ》には、かみら一本。其根《ソネ》がもと、其根芽《ソネメ》つなぎて、伐ちてし止まむ(神武記)
[#ここで字下げ終わり]
譬喩の
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング