帯びてゐるからと言つて、之を以て、日本文学の母胎と言ふ風に考へてはならぬのである。
やごゝろおもひかね(八意思兼)の神を、祝詞神とするのは、理由のあることである。祝詞以前の古代詞章の神であつた此神は、同時に、産霊《ムスビ》の神の所産と考へられてゐた。
此神名自体が、神言詞章の数少かつた古代を、さながらに示して居る。多方面の意義を兼ねた詞章を案出した神或は、多方面に効果ある詞章を考へ出した神と謂つた意義は、この神名の近代的な理会によつても感じられる。古代的には、更に深い定義があつて、「おもふ」といふ語が、特に別の用語例を持つてゐたのだが、こゝには述べぬことにする。
ともかく此神名から見ると、神言呪詞の伝誦数が非常に少く、一詞章にして多くの場合を兼ね、意義が象徴的に示されてゐたことが察せられる。
思ふに、高皇産霊尊、威霊を神の身に結合すると、神、霊威を発して、神言を発する。而も、其神言の効果を保持する神として、思兼神が考へられた。即、神言神は、産霊神であると共に、自ら神言を製作する霊威があると考へたのである。この神と詞霊とは自《オノヅカ》ら別であり、詞霊が進んで、八意思兼となつたとは言へな
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