中世になると、ある種の言語には、祝福力・呪咀力があると見、更に幸福化する力や、不幸化する力が、其言語の表面的意義と並行して現れる、と言ふ風な考へが出て来た。どの言語にも其がある、と信じた痕はないが、意義が幸不幸を強く感じさせるものには、其力があると信じるやうになつて来た。さうして其信仰の末が今に及んでゐるのである。
だがこんなのは、完全なことだま[#「ことだま」に傍点]信仰ではない。言霊は詞霊と書き改めた方が、わかり易いかも知れぬ。最小限度で言うても、句或は短文に貯蔵せられてゐる威力があり、其文詞の意義そのまゝの結果を表すもの、と考へられて居たのである。だから、其様な諺や、言ひ習《ならは》し、呪歌・呪言などに、詞霊の考へを固定させるに到る前の形を考へねばならぬ。
神の発言以来、失はず、忘れず、錯《アヤマ》たず、乱れず伝へた詞章があつた。其詞章が、伝誦者によつて唱へられる毎に、必其詞章の内容どほりの効果が現はれるものと考へられた。此が詞霊信仰であつて、其に必伴ふ条件として、若し誤り誦する時は、誤つた事の為に、詞章の中から、精霊発動して、之を罰するものとしてゐた。此は、「まがつび」の神
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