左右吉さんが、「世界」第三号で、こゝの疑問を提出してゐられた。尤な話である。家庭における主人と、家おとな――うしろ見――との間柄、即、古い、幼神《ヲサナガミ》と布教者との関係を延長した民俗が、宮廷にも見られるのである。だから、朝権の薄らいだ世には、執柄家が、ひのみこ[#「ひのみこ」に傍線]の御《ミ》名において、恣《ほしいまま》に事を行うたことも、あたまから歴史的意義のないこととは出来ないのであつた。朝政摂行の時代とも言ふべき平安時代を通じて見ても、かの古代家庭民俗を隔てゝ見ると、なる程と肯かれることが多い。
だから思ふ。藤原氏が天児屋命の後と称して居た理由も、大いに肯けるのだ。かうした形の更に古いものが、産霊《ムスビ》信仰なのだから、此信仰の分岐した姿の、産霊神を以て先祖とする考へは、幼神と布教者との関係よりも、もつと根本的なものに、還すことになると信じたのであらう。
この日本古代宗教の基礎観念が、又日本の文学以前からの、大きな一つの主題として、文学を成立させてゐる。さうして文学以後にも、大いに其を誘導する運命的なものになつて居るのである。私の文学史は、此事から、はじめるのである。

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