、儀式々々に用ゐられる慣例の詞章は、悉くのりと[#「のりと」に傍点]と称したゞらうといふこと(二)。神主の伝承口誦するものと言ふよりも、天子自ら宣《ノ》り給ふ所の詞章と言ふ側の意義が深かつた。宮廷の儀礼に、主上或は伝達者の発言あつた古伝、又は新制の詞章であつたこと(三)。其前は、神授の聖語として、宮廷に伝誦せられて来た日本最古の詞章といふこと(四)になるのである。
一口に言へば、祝詞|宣命《センミヤウ》と併称せられる習慣の宣命の、まだ祝詞と分化せぬ形が、奈良朝よりも前ののりと[#「のりと」に傍点]であつたことになる。其と共に考へ落してならぬことは、地方の大社々々におけるのりと[#「のりと」に傍点]の問題である。宮廷祝詞と似たものが、地方の大社・旧族の間にもあつたには違ひないが、凡は亡び、其なごりだと称するものも、偽作の疑ひの濃いものが多い。地方の旧族及び、その伝説において祀つて来た大社々々には、宮廷の大祭毎に官幣が頒たれ、又古くから宮廷において、其社を対象とする祭りが行はれてゐたとすれば、祭りの詞章は、宮廷を出て、その社でも唱へられるのである。社々ののりと[#「のりと」に傍点]が、宮廷と同様のものを交へると言ふことが、旧来の神事詞章の価値を低下させて行く。宮廷専用である筈ののりと[#「のりと」に傍点]なる語が、地方にも又、下級の社々の詞章の名称にも転用せられて行く道筋が、こゝにある。
そこに、平安朝の祝詞の新しい性格が出て来るのである。宮廷・地方に繋らず、神に向つて口誦する詞章を、すべて祝詞《ノリト》と言ふやうになつたのは、此為である。其と、平安朝祝詞で、はやく理由の理会の出来なくなつてゐることは、祝詞に、所謂宣下式と、奏上式とがあると言はれてゐることである。平安朝祝詞は、皆神を対象とし、尠くとも神を中介として、之を唱へるのだが、宣下式と言つても、奏上式と言つても、結局神に表白する詞遣ひは一つであつて、唯、開口に当つて、神事に列座する人たちに、旨を含め給ふ条が、宣下式になつてゐるばかりである。列座の人々が、宮廷に侍る皇族・官吏などの場合と、地方の旧族の代表者を意味する大社の神職――神主・祝部――であることとの区別があるだけである。さうして後者は、平安朝には形式だけになつてゐた。元、此祝詞を唱へる儀式には、大社の神官列席して、官幣と祝詞とを頂いて、其社に還つて、其宮廷祝詞を奏することになつて居たのだが、祭日にも、其社の神官至らず、宮廷においてたゞ、その旧儀が行はれ、神主祝部を呼ぶ形式の語があつたに過ぎぬのである。
宮廷近侍の皇親・京官を以て行ふ神事は、即|司召《ツカサメシ》の朝儀と意義が通じて居り、地方の神職を召集する儀式は、県召《アガタメシ》と同じ精神を持つてゐた。京官《ツカサ》を召し、地方官《アガタヅカサ》を召すのは、宮廷の政を京地方に施さうとする神事から出発したのである。其が一方には、京官・地方官叙任の儀式としてのみ固定する様になつた。此宣下式の祝詞は、列座の人々に、其任を奉仕することを命じてゐられるのである。奏上式のものは、主上直接に仰せられる詞と見るべきではなく、凡中臣斎部の神主の要望と感情とを述べる様な形で、中介者として、とりなしの姿の表現様式をとつてゐるものである。神々の位置の高まつて後の形であることは勿論だが、宣下・奏上両式の祝詞、共に、主上御自身としての発想ではない。のりと[#「のりと」に傍点]と言はれた詞章の性格が一変したことが思はれる。のりと[#「のりと」に傍点]の変形が、平安祝詞であることは論のない所だが、其分化理由は自ら察せられる。下級の神――寧、精霊の類――に向いて発する呪《マジナ》ひ式な精神が、のりと[#「のりと」に傍点]の形の上に表現せられるやうになつた為であるらしい。だから、詞章の歴史から言へば、宣命式のものが、のりと[#「のりと」に傍点]の正系であり、のりと[#「のりと」に傍点]は直に、宣命に聯接してゐる訣である。
奏上式の祝詞の発想法は、平安祝詞の中に見えてゐる鎮護詞《イハヒゴト》と言はれる詞章の系統である。霊魂を鎮定する呪術をいはひ[#「いはひ」に傍点]と言ひ、其詞章を「いはひごと」と言ふ。其だけに、所謂|媚仕《コビヅカヘ》の姿をとつて居る。
宣下式と謂はれる宣命系統の祝詞も、内容を見ると、奏上式の祝詞と変つた所のないものゝ多くなつてゐるのが、平安朝祝詞の通念である。恐らく、古式ののりと[#「のりと」に傍点]から見れば、非常に変化して来たものであらう。唯古式なものは、宣命によつて想像出来るだけで、――寧、宣命を以て古式のりとと考へて置く外のないまで、痕もなくなつたのである。
いはひ詞は、霊魂の逸出を防いで安定させる詞である。結局は、まじなひの詞章である。神秘な技術を以て、霊魂を鎮定するので
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