語精霊《コトダマ》の存在を考へたのは、わが民族にとつて、極めて古い事実である。併し此が、言語信仰においての第一次のものでないことは、少くとも我が国だけでは、言ふことの出来る事実である。
詞章に持つた信仰
神の発した神語が、絶対の効果を現ずる。其が、神に託せられて伝達する聖者の口を隔《トホ》してゞも、神自身発言するのとおなじ結果を表す。其が更に、聖者に代つて、神言を伝達する聖者の親近の人々の口を越しても、同様の効果を示す。さう信じて疑はなかつた。その信仰の下に、古代日本の神の旨は遂げられ、宮廷の命令は、遵奉せられて、政治は行はれてゐたのであつた。其には、発言した時の神の心理が、そのまゝ貴人・聖者・宮廷の近臣の心理に現ずるのであつた。ところが、後には、其々伝達者の地位・階級に拘りなく、おなじ言語効果が現ずることを器械的に考へるやうになつた。即、神の発言は、神の詞なる故に、威力を持つてゐる。其威力ある故に、何人の口を越して出ても、効果があるのだ。畢竟、言語自体が、神の威力を伝へてゐるのだとした。其が更に、単に言語その物に威力があるとするやうになつて、言語精霊を考へる様になつた。
中世になると、ある種の言語には、祝福力・呪咀力があると見、更に幸福化する力や、不幸化する力が、其言語の表面的意義と並行して現れる、と言ふ風な考へが出て来た。どの言語にも其がある、と信じた痕はないが、意義が幸不幸を強く感じさせるものには、其力があると信じるやうになつて来た。さうして其信仰の末が今に及んでゐるのである。
だがこんなのは、完全なことだま[#「ことだま」に傍点]信仰ではない。言霊は詞霊と書き改めた方が、わかり易いかも知れぬ。最小限度で言うても、句或は短文に貯蔵せられてゐる威力があり、其文詞の意義そのまゝの結果を表すもの、と考へられて居たのである。だから、其様な諺や、言ひ習《ならは》し、呪歌・呪言などに、詞霊の考へを固定させるに到る前の形を考へねばならぬ。
神の発言以来、失はず、忘れず、錯《アヤマ》たず、乱れず伝へた詞章があつた。其詞章が、伝誦者によつて唱へられる毎に、必其詞章の内容どほりの効果が現はれるものと考へられた。此が詞霊信仰であつて、其に必伴ふ条件として、若し誤り誦する時は、誤つた事の為に、詞章の中から、精霊発動して、之を罰するものとしてゐた。此は、「まがつび」の神と謂はれるものゝ、所業である。古い詞章が伝誦の間に、錯誤を教へてゐることもある筈だからとの虞れがあつて、古詞章を唱へる時、其に併せて唱へておく短章の詞句があつたやうである。其詞句の神は、誤つた詞章を誦したことに対しての懲罰を緩めて、錯誤の効果を直きに返すといふ信仰から「なほび」(直日)の神と称してゐた。此は皆ことだま[#「ことだま」に傍点]信仰の範囲にあることである。さうした少数の詞章が、次第に数を増した世の中になつても、愈《いよいよ》詞霊信仰は、盛んになつて行つた。
だから詞霊を考へることは、発言者たる神の考へが薄くなつて来た為だと言ふことを、まづ考へねばならぬのである。
時を経て、世の中は複雑味を加へ、古来伝承の神授の詞章だけでは、如何に意義を延長して考へ、象徴的な効果を予期して見ても満足出来ぬ程、神言の対象となるべき事件が、こみ入つて来る。其を、宮廷に限つて言つても、宣命や祝詞の前身たる呪詞が、非常に多くなつて来、其が次第に目的を分化し、人に聞かすもの・精霊に宣るもの・神にまをすもの・長上にまをすものなど言ふ風に、複雑多端に岐れて行つた。
だから、宣命祝詞の類の詞章が、多少古色を帯びてゐるからと言つて、之を以て、日本文学の母胎と言ふ風に考へてはならぬのである。
やごゝろおもひかね(八意思兼)の神を、祝詞神とするのは、理由のあることである。祝詞以前の古代詞章の神であつた此神は、同時に、産霊《ムスビ》の神の所産と考へられてゐた。
此神名自体が、神言詞章の数少かつた古代を、さながらに示して居る。多方面の意義を兼ねた詞章を案出した神或は、多方面に効果ある詞章を考へ出した神と謂つた意義は、この神名の近代的な理会によつても感じられる。古代的には、更に深い定義があつて、「おもふ」といふ語が、特に別の用語例を持つてゐたのだが、こゝには述べぬことにする。
ともかく此神名から見ると、神言呪詞の伝誦数が非常に少く、一詞章にして多くの場合を兼ね、意義が象徴的に示されてゐたことが察せられる。
思ふに、高皇産霊尊、威霊を神の身に結合すると、神、霊威を発して、神言を発する。而も、其神言の効果を保持する神として、思兼神が考へられた。即、神言神は、産霊神であると共に、自ら神言を製作する霊威があると考へたのである。この神と詞霊とは自《オノヅカ》ら別であり、詞霊が進んで、八意思兼となつたとは言へな
前へ
次へ
全16ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング