伴するものと考へたのが、こゝに言はうとした日本古代信仰の、重要な一つの形態なのである。
かうした形が定つた上は、いつも尊い人を表現するのにも、其人の介添へとなり、其人を育成する者を相並べて考へないでは居られなかつた。即、うしろみ――後見――の習俗が、此から出発した。多くの後見《ウシロミ》は、主人に対して、低い位置にあるものであつた。併し権威は、主人に向つても、振ふことは出来たのである。後代の語で言ふおとな[#「おとな」に傍線]などにも当るが、めのと[#「めのと」に傍線]――女より転じて、男にも言ふことになつた――にも、此定義がある。幼君を養育する者が、成長後は、主人として其人を崇めながら、尚親近感以外に、ある勢力を持つてゐる。さうした者をうしろみ[#「うしろみ」に傍線]と言うた。従つて亦、夫に対して妻をうしろ見と言ひ、妻に対して、夫をうしろ見と言ふこともあるのは、おなじ理由から出てゐる。必、夫なり妻なりが、其相手よりも若くて、年増しの妻なり、年長の夫なりの介添へによつて連れ添うて来たと言ふ間柄の夫婦を言つてゐる。多くは年長《オイ》女房を後見《ウシロミ》と言ふのである。此などは明らかに、神及び尊い御子を育てるのに、巫女が扶育して養ひ立て、成長後殆ど、神の妻のやうな交情を以て、神聖に接し、神の旨を伺ふことになつて居た。
さうした神を養育する、と言ふ信仰が、形づくられるに到つたのである。此形態が、社会にも家庭にも一般に行はれ、貴人の位置の尊さを表現するには、此幾重のうしろ見を具へることによつてすることになつた。乳母・後見・首名《オトナ》――乙名・老職、あげれば、貴人を廻つて、保護の責に任じてゐる者が、一通りや二通りではなかつた。だが、此形式の重畳であつて、かう言ふ形をとつて居たからと言つて、直に其御主人が、古くは神の地位にあつたとは言はれぬのである。
宮廷においてもやはり、其とほりであつた。此幾重扶育者があつて、主上を扶育申して来、権威具備せられて後までも尚此形は存続してゐた。かう言ふお為向《シム》けをすることが、家庭元来の拠るべき形式とすれば、宮廷だつて、之にお拠りにならなければならなかつた。さうでなくば、宮廷の生活様式だけが、独立してしまふことになるのである。
古代の家伝
生れ立《ダ》ちからして、既に聖なる運命を以て現れ来るものと考へられてゐた。其につ
前へ
次へ
全32ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング