いで考へられたことは、択ばれた、聖なる母胎に寓らねばならぬことであつた。尊い数人の女性の御腹に、各御子があつた時には、之を選択するに、其生れ立ちの奇瑞と、成長後の神の恩寵と、自ら持つ霊威力とを、第一の条件とした。さうして、其に叶うた数人――概して二三人を「ひつぎのみこ」として、神聖な待遇と其に適した生活様式をおさせ申した。さうして、多くの場合、其ひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]の中から、ひのみこ[#「ひのみこ」に傍線]――即、天子をお立て申すことになつて居た。だから、ひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]に太子の字を宛てることはあつても、必しも後の皇太子には当らぬのである。其ひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]に択ばれずに居られたみこ[#「みこ」に傍線]たちも、元よりその家庭生活の形は、前に言つた通りで、唯、ひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]、ひのみこ[#「ひのみこ」に傍線]特有の生活様式は避けて居たが、日常生活は、多くは同様であつた。ひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]も、みこ[#「みこ」に傍線]の時期は、大凡《おほよそ》同じ為向けを受けて育たれたものらしいから、まづ皇子の生活を説くのが適当だらうと思ふ。唯私はこゝで、上古史を語るつもりはないのだから、ほんの輪廓を書くだけに止めることの諒解を得たい。
みこ[#「みこ」に傍線]生れ給ふと共に、産湯の儀式を行ふ。其際に、其みこ[#「みこ」に傍線]の一生に関聯深い壬生部《ミブベ》と言ふ部曲――聖職団体――が定まる。其々のみこ[#「みこ」に傍線]の扶育・教養・保護|凡《およそ》すべて其一代を守り申す壬生《ミブ》職なる家族――氏――の下にあつて、其みこ[#「みこ」に傍線]の一代を通じて奉仕し、更に他界の後、其みこ[#「みこ」に傍線]の、此世にあつたことの記念の団体として残つたのである。だから、壬生部は多く、壬生氏《ミブウヂ》が、其所属の部曲民の一部を割いて、みこ[#「みこ」に傍線]に附けたものである。之を、形式的に公認する様な形になり、宮廷から定められたものゝ様子も見えたのである。元々、さうした表向きのものではなかつたと思はれる。かう言ふ深い交渉が、みこ[#「みこ」に傍線]の一生涯と、其れ/″\の壬生氏との間に起つた原因は、多く母方の関係があつたものであらうが、後漸くその家の女をめあはす[#「めあはす
前へ
次へ
全32ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング