れ替へられるのだから、数音の変化はあつた筈である。又「斎ふとして」の処は、延喜式に、『若、後斎[#(ノ)]時者、加[#二]後字[#一]』とあるから、こゝも、其都度一語の変化があつたのである。かう言ふ必要な変化や、入れ替へは、相当にあつた筈だが、此二つの記録によつて推測しても、延喜式や、台記に記される以前に、既に記録せられて久しかつたといふことである。唯記録になつてゐることは、表面は、秘密であつたらう。さう考へるのが一番適切である。而も、記録しながら、してゐない貌をつくつて居るところに、深い意義があつたのである。
呪詞の記録
宮廷公式用の詞章は、弘く発表せられるのだから、秘密にすることはない。早くから記録となり、国史に載せられてゐることは、宣命・詔旨の類で見ても明らかだ。が、のりと[#「のりと」に傍点]になると、さうは行かなかつたであらう。だが其とて、皇親・官吏・神職等列座の儀礼の一部分なのだから、周知の詞章である。結局、式・儀式類の、人の見る書類に記録するに到るのは、さうあるべき道筋であると言へる。
だがさうした公式のものゝ外は、詞章の神聖なる力は、周目にさらさぬ所に保たれるのだから、神秘を要するものとして、記録はしなかつた。其上、唱へる際も、列座の耳にも入らぬ程、微音に発語したものと思はれる。延喜式祝詞に度々出て来る「天つのりとの太のりとごとを持ちて申さく」とあるのは、場所によると、其後につゞく部分が、後世の人には、如何にも「天つのりと」らしく見えるのだが、事実は、其「天つのりと」を唱へにかゝると、扱ひ方が違つたと見えて、其詞章は抜いてある。先に訳した中臣寿詞の「天都詔刀の太詔刀言を以ちて宣《ノ》れ。かく宣らば、兆《マチ》は、弱蒜《ワカヒル》に五百箇《ユツ》篁《タカムラ》生ひ出でむ……」、古代も、その条で天つのりと[#「天つのりと」に傍点]を唱へたと信じてゐた為に、此寿詞を唱へる度毎に、やはりこゝになると、天つのりと[#「天つのりと」に傍点]なる呪詞を唱へたのである。此などは、後世の理会からすると、天つのりと[#「天つのりと」に傍線]を挿んで唱へない方が、却て適切らしく思はれる位である。「かく宣らば」と言ふ語は、其天つのりと[#「天つのりと」に傍線]を唱へ終へてから「天つのりとも、左様に唱へた上は」といふ形で、又祝詞の本文に戻るのである。
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