部民・領土の上に宛てた。きさいつべ――きさいちべ>きさいべ――と言ふ。これを多く、御名代部と言ふ。混同して皇子の御子代までをもこめて言ふ様になる。此私部又は、御名代部の起原を説いた大春日皇后伝説があるが、事実は其前からあつたものとも思はれる。これにも、御腹に、御名を伝へるべき皇子のないのを歎かれた為に、主上私部を立てることを免《ゆる》された事になつてゐる。とにかく、私有部曲の起原を説いたものに違ひない。但、此と同じ境涯にあつた内親王には、更に古い伝へがあつたのである。其と共に、此大春日部以下の起原説明が、荘園の古形態を示して居ることは、明らかである。この部曲を立てる風が、延長せられて、臣下の上に及んだのは、日本的には、主として宮廷との血縁関係の、深まつて来た為であらう。
かう言ふ風に、次第に財産観念を出して来るが、其根本をなすものは、やはり詞章であつた。先に述べた大山守皇子の、山部の土地人民を押領することが出来なかつた唯一の理由は、山部・山守の別を知らしめた山部の詞章の存在した事による。村又は部民の成立を説く所の口頭の物語が、其部民|或《あるいは》、神人の間に伝つて、その土地・その職業
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