ることもあつたのだ。だが、社会的地位がすべて土地を基礎とする時代になつては、段々其が、村の形に傾いて行つたのは、事実である。御名代・御子代、名義に区別はあるが、内容は、古書にも多く、混用せられて居る。
実は、宮廷においての、さうした村落成立の原因と考へられるものは、稍《やや》違つた形を持つてゐた。代々の主上は、宮廷信仰の上では、常に一人格に入れられるものとして考へ申して居た。にも拘らず、歴史的な考へ方が生じると、御一代々々々を、別々に考へ申す様になつて来るのだ。だから、ある御代のなごりを留める記念事業と謂つた目的を、其御方に関係深い部民の上に考へる様になつて行つた。即、列聖直属の部民で、宮廷の信仰を宣伝する用をなしてゐた宮廷暦即、日置《ヒオキ》の搬布者――大舎人として、御代々々の天子に近侍した人々が、任果てゝ後、郷国に還つてその役をしてゐたのである。即《すなはち》歴代の主上に、日置部或は日置大舎人部又略して大舎人部として、仕へた人である。場合によつては、其大舎人部が、ある代の主上を記念するに適当な特殊な名号を称することもあつた。極めて自然に、御代々々の主上の御なごりを止めることになつた
前へ 次へ
全39ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング