あり、保障せられた事になるのである。
これが発達すれば、后・皇子の為のものは、妃嬪・諸王・寵臣の上にも及ぶこと、既記の通りである。宮廷直轄地以外尚、旧領の私有を認められて居たゞらうと思はれる旧来の豪族の土地を除いて、――此については頗る繁雑な問題が拡つてゐる――新しい公認の荘園が出来て来た理由は、茲にあるのだ。
つまり荘園の前型、部曲固有の利権を保護する唯一の証拠として、此等の詞章が、後々役立つ事になつたのだ。此は実際、叙事詞章が呪詞の一体であつたとの、旧信仰の持続せられてゐた所から生じた効果であつた。即、系図の持つ威力と一つであつた。古代において、さうした系図の口頭詞章によるものを、つぎ[#「つぎ」に傍点]と言ひ、宮廷ではひつぎ[#「ひつぎ」に傍線]、他氏ではよつぎ[#「よつぎ」に傍線]と言つた。呪詞・系図・叙事詩の区別が、極めて尠かつたことが考へられるのである。

      漂游族の芸能

部落をなしたものは、其によつて、時代的権勢家に併合せられたりすることを免れたが、漂游する部曲民でも亦、此詞章によつて職と、財産とを護ることが出来た。と同時に、ある種の族人だと言ふことは、其を棄てない者ほど、愈明らかになつて行つた訣だ。譬へば、海人部の民が、其である。海人の職の起原を説く物語は固よりだが、中間に於いては寧、多く海辺に流離した貴人の物語の類の、一見何の所縁もない情史的な物語までも、とりこんだ物語群を持つて、諸国を巡游する様になつた。其によつて、彼部曲の職掌が公認せられると共に、一種の芸術的遊行団が成立する訣である。彼等の職掌は、其自身の中心となつてゐる宗教儀礼を、宣布する手段と見てよいものであつた。さうして見れば、自然、遊行・芸能・宗教儀礼は、団体の成立条件とも考へられて来る。古代から中世へ亘つて、かうした巡游神人を「ほかひ」と称した。さう言つてよいだけの名も実も、存してゐたのだ。
日本における古代信仰の共通的形式として、色々な形にしろ、祓除を主として居た。さうして、其が多く、各種の遊行神――と考へられるもの――及び、その神人の手で施されるものであつた。さうして、その芸能として、叙事詩を謡ひ、舞踊・演劇を行ふことは、その儀礼の手段であつた。私の話は、文学史を説く上から、詞章にばかりに偏して居たが、実は早くから、演劇・舞踊方面の、ある点までの発達を述べて置かねばな
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