らなかつたのだ。舞踊は、鎮魂の手段として行はれたものである。あそび[#「あそび」に傍線]と言ふ用語例は、最古い意味において、鎮魂の為の舞踊である。歌の発生は先に述べたが、歌を謡ふことは、服従を誓ふことになるのであつた。歌を唱へることによつて、呼び起される所の――其々家国の守護霊なる――威霊を、その長上の体中に鎮定しようとする。其歌の形式は、長短・繁簡あり、――譬へば、片歌・旋頭歌・短歌と――時代によつて違ふが、精神においては、替る所がない。後代においては、舞踊にも演劇的要素を多く含んで来て、掛け合ひ形式を採る様になつた。譬へば、神遊《カミアソビ》――神楽――の人長・才男《サイノヲ》の如き対立を生じるが、其には、さうした演劇構造を採る理由があつた訣だ。
演劇は、日本の古代に於いては、掛け合ひを要素とするもので、寧、相撲《スマヒ》の形式に近いものであつた。其主体となる神に対して、精霊がそれをもどく[#「もどく」に傍線]行動をして、結局、降服を誓ふ形になつたのが、次第に複雑化したものに過ぎない。その精霊が、男性であり、女性である事の相違が、芸能としての筋に変化を与へる様になつた。だから、単純な演劇は、受け方が動物であることがあり、又、巫女の様な姿を取る様にもなる。但、普通の形式は、力人と言つた形をとつたものらしい。ひこほゝでみの[#「ひこほゝでみの」に傍線]尊に対する海幸彦、たけみかづちの[#「たけみかづちの」に傍線]命に対するたけみなかたの[#「たけみなかたの」に傍線]神であり、又野見宿禰に対しての、当麻《タギマ》[#(ノ)]蹶速《クヱハヤ》の如き姿である。勿論、古代の詞章の内容を現実化する手段として、その意味を副演すると言つた風の事も、勿論あつた事は思はれる。が、わが詞章は本質的に、のりと[#「のりと」に傍線]・よごと[#「よごと」に傍線]風の対立を見るのだから、必のりと[#「のりと」に傍線]方と、よごと[#「よごと」に傍線]方に分れるものと見てよい。だから、争ひの形からはじまつて、奏寿・誓約に結着したのである。
よごと[#「よごと」に傍線]方なる相手を女性化する様になると、黄泉大《ヨモツオホ》神の娘・大山|祇《ツミ》の娘・わたつみの娘など言つた形になり、又男神を逐ふ女神――播磨風土記――といふ姿を採るのだ。其が低くは、村々の巫女と謂つた姿をとる。恐らく、西洋古国の聖
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