の来由と、宮廷との関係その他を伝へてゐたからである。だから、村の新立・部民の結集の為には、叙事詩を与へる必要があつたのだ。もつと自然に言へば、村――及び部曲――は、物語の継承を必須条件として居た。村の開き主に関する物語なくては、村の存在は意味なく、存立危険なものでもあつたのだ。
大春日部その他の伝へと思はれる、安閑天皇・春日皇后の妻訪ひの物語歌の如きは、大国主・沼河媛の唱和と根本において異なる所がない。又反正天皇の御誕生に関する物語の如きも、同じ形式をたぐれば、三つの似た事蹟が、後代の皇子の上にも見られる。
叙事詩の史実化について、その糸口は書いた。事実において、真の歴史を後世に伝へる成心を持つてしたのが、語部の出発点でもなく、又その内容自身が、実在性の保障出来る唯一偶発事件の表現せられたものでもないのが、普通であつた。

      部落・部曲の詞章

尊い皇子の為には、その誕生から生ひ立ちの過程のある期間の叙述を類型的に物語るものが、中心になつてゐたのだ。言ひ換へれば、すべての尊貴の方々の出生に関する儀礼==産養―鎮魂―祓除―養育―母・小母・乳母に関聯した事==にくり返された類型の行事が、ある方々の歴史と特殊化して考へられたのだ。別の語を以てすれば、家筋・村筋・職筋においては、其開初の人の一代記から語りはじめる事を、条件としてゐる。さうすれば、出生譚に重きを置くのは、理由のある事である。其から、時代の進むにつれて、次第に一代の中の重要事項を併せ陳べることになつたと思はれる。が、ほんたうの史実をとり扱ふ様になるのは、極めて後の事と考へるのが正しい。
譬へば、建部《タケルベ》の伝承には、却て成人後の伝に重きをおいて、生ひ立ちについては、父帝の、碓《ウス》にたけび[#「たけび」に傍線]せられた事を言ふのみである。此などは、聖子誕生に関する別殊の形式の存在を思はせるものでなくば、恐らく後の大事件を主として、生ひ立ちの語りを忘却したものと見てよいのだ。唯時として、稀に誕生の部分の細叙せられた方々の物語が、残ることがある。その為、小数の尊貴の上の事実だと見られるのは、実はすべてに亘つてあつた事、語られた事が、特別に、ある部曲に限つて残つた為の様に思はれる。
かの反正天皇の産湯に関する伝への類型は、既に一部分固定化を経たものであつた。大国主の子あぢすきたかひこねの[#「あぢす
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