日本文学の発生
――その基礎論――
折口信夫

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)厳咒詛《イツノカシリ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)此|土《くに》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13]

 [#…]:返り点
 (例)由[#レ]川為[#レ]名

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)天[#(ノ)]平

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だん/\
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     一 異人の齎した文学

[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
(一)河内里[#ここから割り注]土中下。[#ここで割り注終わり]右、由[#レ]川為[#レ]名。此里之田不[#レ]敷[#レ]草下[#二]苗子[#一]。所[#二]以然[#一]者、住吉大神上坐之時、食[#二]於此村[#一]。爾、従神等、人苅置草解散為[#レ]坐。爾[#レ]時草主大患訴[#二]於大神[#一]、判[#「判」に白丸傍点][#二]云[#「云」に白丸傍点]汝田苗者、必雖[#レ]不[#レ]敷[#レ]草、如[#レ]敷[#レ]草生[#一]。故、其村田于[#レ]今不[#レ]敷[#レ]草作[#二]苗代[#一]。(播磨風土記)
(二)復有[#二]兄磯城軍[#一]。布[#二]満於磐余邑[#一]。[#ここから割り注]磯。此云[#レ]志。[#ここで割り注終わり]賊虜所[#レ]拠、皆是要害之地。故道路絶塞無[#レ]処[#レ]可[#レ]通。天皇悪之。是夜自祈而寝。夢有[#二]天神訓[#一]之曰、宜取[#二]天香山社中土[#一][#ここから割り注]香山。此云[#二]个遇夜摩[#一]。[#ここで割り注終わり]以造[#二]天[#(ノ)]平※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13]八十枚[#一][#ここから割り注]平※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13]。此云[#二]毘羅个[#一]。[#ここで割り注終わり]并造[#一]厳※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13][#一]、而敬−[#二]祭天神地祇[#一]。[#ここから割り注]厳※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13]。此云[#二]怡途背[#一]。[#ここで割り注終わり]亦為[#二]厳咒詛《イツノカシリ》[#一]。如[#レ]此則虜自平伏矣。[#ここから割り注]厳咒詛。此云[#二]怡途能伽辞離[#一]。[#ここで割り注終わり]天皇祇−[#二]承夢訓[#一]、依以将[#レ]行。時弟猾又奏曰、倭国磯城邑有[#二]磯城八十梟帥[#一]。又、高尾張邑[#ここから割り注]或本云、葛城邑。[#ここで割り注終わり]有[#二]赤銅八十梟帥[#一]。此類皆欲[#下]与[#二]天皇[#一]距戦[#上]。臣窃為[#二]天皇[#一]憂之。宜今当取[#二]天[#(ノ)]香山[#(ノ)]埴[#一]、以造[#二]天平※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13][#一]、而祭[#二]天社国社之神[#一]、然後撃[#レ]虜則易[#レ]除也。天皇既以[#二]夢辞[#一]為[#二]吉兆[#一]。及[#レ]聞[#二]弟猾之言[#一]。益喜[#二]於懐[#一]。乃使[#下]椎根津彦著[#二]弊衣服及蓑笠[#「蓑笠」に白丸傍点][#一]、為[#中]老父貌[#「老父貌」に白丸傍点][#上]。又使[#三]弟猾被[#「被」に白丸傍点][#レ]箕[#「箕」に白丸傍点]為[#二]老嫗貌[#「老嫗貌」に白丸傍点][#一]、而勅之曰、宜汝二人到[#二]天香山[#一]、潜取[#二]其巓土[#一]。而可[#二]来旋[#一]矣。基業成否、当以[#「以」に白丸傍点][#レ]汝為[#「汝為」に白丸傍点][#レ]占[#「占」に白丸傍点]。努力慎焉。是時、虜兵満[#レ]路難[#二]以往還[#一]。時椎根津彦乃祈之曰、我皇当[#三]能定[#二]此国[#一]者、行路自通。如不[#レ]能者、賊必防禦。言訖径去。時群虜見[#二]二人[#一]。大咲之曰。大醜乎[#ここから割り注]大醜。此云[#二]鞅奈瀰※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]勾[#一]。[#ここで割り注終わり]老父老嫗。則相与闢[#レ]道使[#レ]行。二人得[#レ]至[#二]其山[#一]、取[#レ]土来帰、於[#レ]是天皇甚悦。乃以[#二]此埴[#一]、造[#二]作八十平※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13]・天手抉八十枚[#ここから割り注]手抉。此云[#二]多衢餌離[#一]。[#ここで割り注終わり]厳※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13][#一]、而陟[#二]于丹生川上[#一]。用祭[#二]天神地祇[#一]。則於[#二]彼菟田川之朝原[#一]、譬如[#二]水沫[#一]而有[#レ]所[#二]咒著《カシリツクル》[#一]也。(神武紀)
(三)故大国主神、坐[#二]出雲之御大之御前[#一]時、自[#二]波穂[#一]、乗[#二]天之羅摩船[#一]而。内[#二]剥鵝皮[#一]剥為[#二]衣服[#一]、有[#二]帰来《ヨリクル》神[#一]。爾雖[#レ]問[#二]其名[#一]、不[#レ]荅。且雖[#レ]問[#二]所[#レ]従之諸神[#一]、皆白[#レ]不[#レ]知。爾多邇具久[#「多邇具久」に傍点]白言、[#ここから割り注]自[#レ]多下四字以[#レ]音[#ここで割り注終わり]此者久延毘古必知之。即召[#二]久延毘古[#一]問時、荅[#二]白、此者神産巣日神之御子、少名毘古那神[#一]。[#ここから割り注]自[#レ]毘下三字以[#レ]音[#ここで割り注終わり]故爾白[#三]上於[#二]神産巣日御祖命[#一]者。荅[#下]告此者実我子也。於[#二]子之中[#一]。自[#二]我手俣[#一]久岐斯子也。[#ここから割り注]自[#レ]久下三字以[#レ]音[#ここで割り注終わり]故与[#二]汝葦原色許男命[#一]、為[#二]兄弟[#一]而、作[#中]堅其国[#上]。故自[#レ]爾、大穴牟遅与[#二]少名毘古那[#一]二柱神、相並、作[#二]堅此国[#一]。然後者、其少名毘古那神者、度[#レ]于[#二]常世国[#一]也。故顕[#二]白其少名毘古那神[#一]、所謂久延毘古者、於[#二]今者[#一]山田之曾富騰者也。此神者、足雖[#二]不行[#一]、尽[#二]知天下之事[#一]神也。於是大国主神愁而、告[#下]吾独何能得[#二]作此国[#一]。孰神与吾能相[#中]作此国[#上]耶。是時有[#二]光[#レ]海、依来之神[#一]。其神言、能[#二]治我前[#一]者、吾能共与相作成。若不[#レ]然者、国難[#レ]成。爾大国主神曰、然者、治奉之状奈何。荅[#三]言吾者|伊《イ》[#二]都岐奉《ツキマツレ》于倭之青垣東山上[#一]。此者坐[#二]御諸山上[#一]神也。(神代記)
[#ここで字下げ終わり]

数限りなくある類型のほんの一例として、右の三種の文献を引いて、我々の国の文学の歴史の話の出発点を作つて見ようと思ふ。我々の住む国土に対して、他界が考へられ、其処の生活様式が、すべて、此|土《くに》の事情と正反対の形なるものと考へてゐた。其|最《もつとも》著しいのは、我々の祖先が、起原をつくつたと考へてゐる文学そのものが、その祖先自身の時代には、それが悉く空想の彼岸の所産であると、考へられてゐたことであつた。この彼此両岸国土の消息を通じることを役とする者が考へられ、其|齎《もたら》す詞章が、後々、文学となるべき初めのことばなのであつた。週期的に、この国を訪づれることによつて、この世の春を廻らし、更に天地の元《ハジメ》に還す異人、又は其来ること珍《マレ》なるが故に、まれびと[#「まれびと」に傍線]と言はれたものである。異人の齎す詞章が宣せられると共に、その詞章の威力――それに含まれてゐる発言者の霊力の信仰が変形したところの――に依つて、かうした威力を持つものと信じられた為に、長く保持せられ、次第に分化して、結局文学意識を生じるに至つたのだ。
扨《さて》、その異人の住むとせられた彼岸の国は、我々の民族の古語では、すべてとこよ[#「とこよ」に傍線]――常世又は常夜――と称せられてゐた。その常世なる他界は、完全に此土の生活を了へた人々の魂が集中――所謂つまる[#「つまる」に傍点]――して生きてゐる、と信じられてゐた。さうして、此常世と幾分違つた方向に岐れて行つたと思はれる夜見の国に、黄泉大神《ヨモツオホカミ》を考へた如く、さうした魂のうちに、最威力あるものをも考へてゐた様である。而も、対照的に思惟し、発想する癖からして、二つの対立したものと考へ、それが祖先である為に、考妣一対の霊と思はれる様にもなつた。更に、彼土にある幾多の魂が、その威霊の指導に従つて、此国へ群行し来たるものとも考へてゐた。だから、異人は他界の威霊であると考へたものが、唯《ただ》生活方法が違ふ外に、我々と共通の精神を持つた神聖な生き物としての、ひと[#「ひと」に傍点]とも考へられた。又ある地方、或は或時代には、多く神と信じられ、常世神とも称せられる様になつた。この様に、異人に対する考へは、極めて自由で、邑落に依つて一致しない部分の多かつたことが思はれる。だが、さうした整頓せられない種々な形を恣《ほしいまま》に考へることは、却《かへ》つて正確な知識を捉へることの出来ないことだから、姑《しばら》く、記・紀・風土記の援用文に見えた代表的な姿に括《くる》めて説かねばならぬ。
この三種の様式のまれびと[#「まれびと」に傍線]の信仰は、多くの古典のみか、後代久しく、中には今に至るまで、民間伝承に其姿をとどめてゐる。古事記の例を見ると、霊物と威霊と二通りの形に、一つの影向《ヤウガウ》を伝へわけた跡を見せてゐる。前段後段に、原因関係を示す形をとつてゐるが、実は一つ事の語り分けに過ぎない。而も日本紀では、これを単なる海原を照し来る光り物、即、外来魂として取り扱つてゐる。此点に於いては、極めて都合よく、まれびと[#「まれびと」に傍線]観念の種々な過程を説明したものと言へる。第二の日本紀の例で見ると、異人の旅は、如何なる邑落をも、障碍なしに通過することの出来た事を示してゐる。更に、男性の祖霊の形が椎根津彦であり、弟猾《オトウカシ》は祖霊の女性なるもの――兄猾との対照から男性と見て来てゐるのは誤りで、当然この伝への出来る訣があるのだ――として、一対のまれびと[#「まれびと」に傍線]の形を見せてゐる。そして、考妣二体の神が呪詛にあづかる点をも具へてゐる。播磨風土記を見ると、この例は極めて多いが、其中の一つを引いたので、最適切に、彼岸の国土から農村行事の時を定めて、一体の主神及び其に伴ふ群行神のあつたことを、更に伝説化してゐるのだ。而も、春の訪れから分化した、苗代時の来臨を示してゐる処に注意せねばならぬ。
かうした常世・まれびと及び此土の生活の関聯した例は、数へきれない程だが、その合理化を経た結果、多くは、最重大なまれびとの職分に関する条件を言ひ落してゐるものが多い。異人の齎した詞章が、この民族の文学的発足点をつくつたことを、此から述べようと思ふ。即、常世ものゝ随一たる呪詞唱文に就いての物語である。
第一に明らかにして置かなければならないのは、異人は、果して異人であるか、と云ふ事である。言ふまでもなく、さうした信仰を持つ邑落生活の間に伝統せられた一種の儀礼執行者に過ぎない。この行動伝承を失つたものが、歴史化して行く一方、行動ばかりを伝へたものは、演劇・相撲・射礼《ジヤライ》などを分出して行つた。その行動伝承に関与するものは、即、此土の人間で或期間の神秘生活を積んだ人々であつた。即、主神となる者は、邑落の主長であることもあり、又宗教上の宿老であつた事もある。更に其常世神に伴はれる多くの群行神は、此聖役を勤めることに依つて、成年戒を経る訣であつた。さうして、其行事の中心は、呪
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