習ひといふと、左右の手を考へるが、此「て」には、一種の意味があるのだらう。われ/\は書法の手を考へるが、音楽・舞踊の方でも手と云ふ語を盛んに用ゐてゐる。つまり、一種の魂に関係のある語で、魂が身に寓ると、其によつて身体の一部分の働き出すことが、「て」であり、其現れる部分を手と考へたらしい。さうして、其を完成する為に、習熟することが、ならふ[#「ならふ」に傍線]なのだ。手を習ふと同時に、読むのを聴き、自分も読む。此三方面から自分の魂を風化する事に勉めた。宮廷の女房たちは、采女の中実際の神事から遠のいて、神人に入らせられる主上並びに其外の方々の後見をした者が多いのだ。此等の人々の為事が、平安朝の文学を育てる原動力となつたのだ。所謂王氏・貴族の人として、知らなければならない事柄を教へるところに目的がある。これを昔風に云へば、さう云ふ知識を持つ事によつて、其人の位置を保ち、実力を発揮すると考へてゐたのだ。だから、平安朝になつても、国々に伝つてゐた風俗歌《クニブリ》・諺或は、其系統の成句を教育の主題にしてゐた。此等の女性は、外にまだいろ/\な為事をしてゐる。後世まで関係のある事で云へば、日記を書き
前へ 次へ
全69ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング